今日、うちはナスビとひき肉の炒めたもの、焼きシャケ、ニラなどのぬた、その他あれこれだった。昨日の夕ごはんは、焼肉とその他だった。すべて奥さんの工夫のたまものですけど、彼女は最近少し落ち着かないから、何かどっしりと料理してみようという気持ちが起こらないみたい。
だったら、私が変てこな料理を作ればいいわけだけど、私は「料理のセンスがない」ということで、何をしても否定されてしまう。というか、小賢しい工夫というのか、変てこな思いつきでやるから、変てこな味付けのものしかできない。
私がやるんだったら、肉を焼くとか、冷凍ギョーザをふたして五分蒸し焼きにするとか、決められたことなら、決められたとおりにやるくらいで、何かを作り出そうと変な欲を出してはいけないみたい。
でも、彼女がいなかったら、たぶん、変てこな料理をとことんずっと続けるだろうか。そうしたら、何か生まれるかな。いや、とことんめんどくさがり屋だから、切るだけとか、レンジでチンするものとか、そんなのしかできないでしょう。たぶん、心も動かないと思われます。
それくらいに、料理を作るというのは、基本的なことを愚直に行い、ほんの少し加減をはかりながら、作っていくことなんでしょう。今まで私がやって来なかったことです。
この土日、大阪の実家へ行ってきたのですが、母がまるで料理をしなくなっていて、私が好きなものを買い、好きなものを料理しなくてはいけない、ということになりました。
私が好きなもの、できること、食べたいもの、それは何だったのでしょう。
私は、酢の物、海のもの、新鮮なもの、海藻類、野菜、トマト、煮物、高野豆腐、そんなのが食べたかった。それと少しだけお酒。なのに、母は何も作ってくれない。キャベツを切るとか、トマトを切るとか、サラダを作るとか、タコとキューリの酢の物作るとか、昔はしてくれていたことに対して、息子が来ていても、やろうという気力がなくなっていました。
甥っ子たちの孫が来るとか、弟家族が来るとか、そういう時は張り切ったのかもしれないけれど、来る見込みはなかった。いるのは私だけで、私は私が好きなものを買い、自分で料理して食べなさい、ということだった。
私は、パックに入った焼肉などを買いました。それらを焼いて食べました。あまりおいしいとも感じないで、母の食べない、私だけの焼き肉でお腹を満たすことになりました。何だか味気なかった。母は夜は何も食べないということで、ヨーグルトとか、そんなのを食べただけでしたか。
そんな、食欲のない夜なんて、楽しみもないと思うけれど、母にはそれが当たり前になってしまったみたいでした。
母と二人で、朝も昼も夜も、何となくゴハンを食べたけれど、満足感のないまま、ゴハンだけはたくさん食べさせられて、何度もおかわりをさせられました。ああ、ゴハンに罪はないけど、ゴハンだけでは味気ないんだよな。
そんなことばかり言ってても仕方がない。何か、食生活が変わるように、息子としても母をサポートしていきたいです。そして、母がびっくりするようなものを食べさせてあげたいけど、なかなか難しいです。でも、とても追い込まれている気がします。