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14時過ぎに帰ってみたら、オムライスが用意されていました。カップのカレーラーメンを食べようと思っていたので、何だかうれしいような、少しだけ残念なような気がしたものでした。
最近カップラーメン食べたのはいつごろでしょう? 今年の夏、食べたのかなあ。カップ焼きそばは食べたことがあるような気がしますが、カップラーメンは、もうかなり昔です。サッポロ一番って、今でもあるんだと感心して食べたはずですが、もうかなり昔のことのような気がします。
もうこうなると、カップラーメンを食べるということが、記録されるべき大変なことになりつつあります。本当に私は恵まれた環境で暮らしています。すべて奥さんのおかげで、本当にありがたいことです。
そうです。食器洗いだって、最近はいつしたでしょう? ああ、これも記憶がありません。もう長い間食器洗いをしていない。何ヶ月くらいしていないのか、わからなくなるくらいしていない。
なんという生活をおくっているのでしょう。本当に恥ずかしいことです。何もえらそうなことは書けません。何もしていないのと同じです。
気が向いたときだけ、何か家族のためにするかもしれないけど、気まぐれでいいかげんです。
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オムライスを食べながら、ペット保護施設の姿を追いかけたドキュメンタリーをチラッと見て、こうして捨てられていく犬たちがいるのだと思いました。
そんなに捨てられてしまう犬がいるのなら、ウチに1匹でもいてくれたらいいのに、二十数万を支払って犬を飼うことができませんし、もっと自然な形でウチにワンコは来てくれないか! と思ってしまう。でも、まるで宝くじでも当たるような待ち方ですので、まったくワンコはウチに来てくれないのです。
そして、私は犬と一緒に暮らすことにあこがれを持ちながら、まったく一緒の生活ができていないのでした。
さあ反省していても仕方がない、ということでNHKのアーカイブスを見ていました。2006年の作品で「老犬クー太」という番組も見てしまいました。六十前後のご夫婦が介護をしながら18年と何ヶ月かを一緒に過ごし、最後は初日の出を見ようとしていたけれど、その少し前に亡くなってしまいます。同時進行で六十代後半の子どものない夫婦が二十歳のメス犬を育てている姿も映されて、こちらは番組の中では死なないで、お正月を迎えます。
淡々とそれらの番組を見ていて、何ともいのちとはそういうもので、犬に老いと向き合うことを教えられるのだと思いました。言葉で言うのは簡単だけど、これは貴重な体験で、家族同然に暮らし、毎日一緒にいた犬が、急にいなくなるのです。何だか悲しいなあ。
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気づくと15時でした。まだ明るい昼間でした。少し太陽は傾いてきたけれど、まだお昼でした。奥さんは、お気に入りの花の苗を扱うお店に行きたいということでした。だったら、景気づけに行ってみるかと、私は奥さんのお供をしましたが、お花の苗には興味はなくて、そこに巣を広げているクモに驚き、ビクッとしたのです。
「それ、撮って」と奥さんが言います。
何だかイヤだな、気持ち悪いよと思いつつ撮りましたが、やはり奥さんは自然のものたちがどんなに写るのか、お見通しのようで、全然気持ち悪くなくて、なんだか空に浮かんでいるようです。
芥川の「蜘蛛の糸」みたいな感じです。いや、もっと別の物語でも起こりそうな感じです。
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空に浮かぶ雲は、もう思い思いの格好で空に浮かんでいる。夕方は刻一刻と姿を変えるし、光はどんどん薄らいでいくし、私のようなうっかり者でも、なんだかキレイだと思ってしまいます。
日曜の夜は、あと2時間と少し、早く寝っ転がって本でも読みましょう。今週は木曜はお休みだし、また旅の空想でもしていましょう。どこにも行かないくせに、空想だけはあれこれしてみるのです。きれいな地図帳もあるし、鳥取や島根、日本海側にあこがれているんですけけどね。
行けるといいんだけど、まあ、無理ですね。
最近カップラーメン食べたのはいつごろでしょう? 今年の夏、食べたのかなあ。カップ焼きそばは食べたことがあるような気がしますが、カップラーメンは、もうかなり昔です。サッポロ一番って、今でもあるんだと感心して食べたはずですが、もうかなり昔のことのような気がします。
もうこうなると、カップラーメンを食べるということが、記録されるべき大変なことになりつつあります。本当に私は恵まれた環境で暮らしています。すべて奥さんのおかげで、本当にありがたいことです。
そうです。食器洗いだって、最近はいつしたでしょう? ああ、これも記憶がありません。もう長い間食器洗いをしていない。何ヶ月くらいしていないのか、わからなくなるくらいしていない。
なんという生活をおくっているのでしょう。本当に恥ずかしいことです。何もえらそうなことは書けません。何もしていないのと同じです。
気が向いたときだけ、何か家族のためにするかもしれないけど、気まぐれでいいかげんです。
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オムライスを食べながら、ペット保護施設の姿を追いかけたドキュメンタリーをチラッと見て、こうして捨てられていく犬たちがいるのだと思いました。
そんなに捨てられてしまう犬がいるのなら、ウチに1匹でもいてくれたらいいのに、二十数万を支払って犬を飼うことができませんし、もっと自然な形でウチにワンコは来てくれないか! と思ってしまう。でも、まるで宝くじでも当たるような待ち方ですので、まったくワンコはウチに来てくれないのです。
そして、私は犬と一緒に暮らすことにあこがれを持ちながら、まったく一緒の生活ができていないのでした。
さあ反省していても仕方がない、ということでNHKのアーカイブスを見ていました。2006年の作品で「老犬クー太」という番組も見てしまいました。六十前後のご夫婦が介護をしながら18年と何ヶ月かを一緒に過ごし、最後は初日の出を見ようとしていたけれど、その少し前に亡くなってしまいます。同時進行で六十代後半の子どものない夫婦が二十歳のメス犬を育てている姿も映されて、こちらは番組の中では死なないで、お正月を迎えます。
淡々とそれらの番組を見ていて、何ともいのちとはそういうもので、犬に老いと向き合うことを教えられるのだと思いました。言葉で言うのは簡単だけど、これは貴重な体験で、家族同然に暮らし、毎日一緒にいた犬が、急にいなくなるのです。何だか悲しいなあ。
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気づくと15時でした。まだ明るい昼間でした。少し太陽は傾いてきたけれど、まだお昼でした。奥さんは、お気に入りの花の苗を扱うお店に行きたいということでした。だったら、景気づけに行ってみるかと、私は奥さんのお供をしましたが、お花の苗には興味はなくて、そこに巣を広げているクモに驚き、ビクッとしたのです。
「それ、撮って」と奥さんが言います。
何だかイヤだな、気持ち悪いよと思いつつ撮りましたが、やはり奥さんは自然のものたちがどんなに写るのか、お見通しのようで、全然気持ち悪くなくて、なんだか空に浮かんでいるようです。
芥川の「蜘蛛の糸」みたいな感じです。いや、もっと別の物語でも起こりそうな感じです。
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空に浮かぶ雲は、もう思い思いの格好で空に浮かんでいる。夕方は刻一刻と姿を変えるし、光はどんどん薄らいでいくし、私のようなうっかり者でも、なんだかキレイだと思ってしまいます。
日曜の夜は、あと2時間と少し、早く寝っ転がって本でも読みましょう。今週は木曜はお休みだし、また旅の空想でもしていましょう。どこにも行かないくせに、空想だけはあれこれしてみるのです。きれいな地図帳もあるし、鳥取や島根、日本海側にあこがれているんですけけどね。
行けるといいんだけど、まあ、無理ですね。