昨日、というか今日未明、午前三時すぎにトイレに行きました。フトンのところにもどってくると、外はとても明るくて、もう夜が明けたような雰囲気でした。
時計を見直しましたが、やはり午前三時過ぎでした。まさか太陽が出てくるわけがありません。あと二時間くらいしないと太陽は出てきません。
ひょっとしてお月さんかなと、障子を開けてみると、西の低い空のところにわりと真ん丸なお月さんが浮かんでいました。あと少ししたら、沈みそうでした。調べてみると、四時過ぎに没することになっていたようで、最後の輝きだったようです。
昨日はずっと雨だったのに、いつの間にか月が空に浮かんでいた。夜中の間ずっと空を旅していて、私が二度寝しようとしている時、西の向こうに沈んでいくところでした。
フトンに入りながら、あんなにキレイだったら、写真でも撮れるなあといつものスケベ心も出てきました。でも、そのまま眠りに落ちてしまいました。まあ、意気込んで撮ろうとしても、凡百の写真しか撮れないですから、そのまま寝てしまったのは正解でした。
私は、しばらく月のことを忘れていました。でも、知らない間に今日は、13.2日お月さんでした。もうすぐ満月がやってきます。
ああ、とうとう宣長さんの『菅笠日記』の日付を越されてしまった。
早く松阪まで帰ろう、できれば旧暦の、当時の感覚が味わえる日々の中で振り返っていこうとしていたのに、私の現実が、宣長さんの日々を通り越してしまった。
私の現実のサクラたちも、ほとんど見かけなくなりましたし、ハナミズキや八重桜が咲こうとしている。
不規則だった今年は、いっぺんに春から夏に向かおうとしているのかもしれません。
中間がなくて、冬から夏、夏から冬にすぐになってしまう。春や秋の穏やかな陽気の日というのが、なかなか味わえなくなっています。もうすぐしたら夏日の連続になることでしょう。
どうしてこう極端に振れていくことになったのか、温暖化だと決めつけるべきなのか、それとも別の原因があるのか、私にはわからないけれど、途中のホッとする期間が短いのが何となく不幸な感じです。
帰りは、ラジオは止めて、ハードディスクのドビュッシーにしました。自然と「月の光」になってしまって、もうこうなりゃ、中原中也さんから聞かせてもらうしかないなと、全集(図書館から借りてみました)から「月の光 その二」を書き写すことにします。
月の光 その二
おゝチルシスとアマントが
庭に出て来て遊んでる
ほんに今夜は春の宵
なまあったかい靄(もや)もある
月の光に照らされて
庭のベンチの上にゐる
ギタアがそばにはあるけれど
いつかう弾き出しさうもない
芝生のむかふは森でして
とても黒々してゐます
おゝチルシスとアマントが
こそこそ話してゐる間
森の中では死んだ子が
蛍のやうにしゃがんでる
チルシスとアマントというのは、妖精みたいなものらしく、フランスなどでは、使われるキャラクターのようです。画像でもないかなと検索してみたら、それはもうアニメの世界があふれていました。どれも同じ顔なんですが、フランスの妖精というイメージだけを借りて、変てこなアニメがたくさん作りだされていました。
中也さんも、まさか現代の日本では、こんなに何もかもがアニメに毒されて、意味が薄められ、見るものにこびる姿が描かれていて、どうなっているんだ。どうしてこんなにフランスのファンタジーが汚されなきゃいけないんだよ! と嘆き悲しんだことでしょう。
メジャーなのか、マイナーなのか、わからないけど、どれもみな同じ感はありますね。
もう、安易に画像を借りるのは考えものです。どんな西欧文学も、中国文学も、アニメに汚染され、キラキラの目玉をした、キリリととんがった人間たちが、現実離れした格好で無意味に大量生産されている。若い人も、それでいいとは思っていないだろうけど、どんな世界もアニメ化して吸収するということでは、たくましいというのか、打たれ強いというのか、へこたれずに広がりますね。
月の光のことでしたね。
あったかな、春の夜、月の光に照らされて、芝生の上を小さな妖精たちが、春を祝うように踊りを踊っている(ように見える)のでした。
とても静かで、音楽は聞こえないのに、何となく地面の上では、光が転がっている。
その光の向こうには、暗闇もあって、そこは静かで何もない空間です。そこだけ冷ややかになっているかもしれない。
そんな草葉の陰に、亡くなったお子さんの魂があるような気が、ふっとした。確証はないけれど、そこにはうちの子の影がある。でも、自分にはどうにもできなくて、ただそこを見やるだけしかできないでいる。
そうした無力感もある。でも、月の光は、さあ、あなた、今を存分に生きなさい。この光の中であなたのやれることをとにかくしなさい! そうささやいてくれる。
だから、私は、今はなき子の姿を暗い影の中に探そうとしている。いつまで経っても向こうの見えない、いつまで経っても心は楽しまない、ぼんやりとした気持ちのまま、時間に取り残されている。
そういう雰囲気でしょうか。
1 月明かり 花たちのおしゃべりは止まず
2 おぼろ月 子どもの平安を祈る
3 春の月 天災人災に揺さぶられている