夕方のネットニュースで火野正平さんが亡くなったというのをみてしまいました。どういうことか、理解に苦しんだけれど、そういうことなのかと、納得しようともう何時間もボンヤリしています。
確かに夕方、ごはんの時にお酒は飲みましたが、それだけではなくて、このボンヤリとした気持ちはなかなか晴れないのです。
2011年の春から「こころ旅」という番組がスタートしました。パイロット版で2010年の長崎の旅もあったそうですが、そちらはちゃんと見ていません。震災の後に日本海側をずっと北上していった撮影隊のみなさん、どんな旅があったのか、残念ながら私は見ていませんでした。2011年の春からは個人的にも大変な時期ではあったので、とてもテレビなんて見る余裕もなかったのでしょう。全く知りませんでした。
その年の秋、たまたま神戸から明石球場まで正平さんが走っていて、途中の商店街でオバチャンたちと軽いおしゃべりなんかして、最後には明石球場のスタンドでこういう場面だっただろうとコメントされてる姿を見て、「ああ、こんな番組があるんだ、見てみよう」ということになって、岡山、広島、山口、福岡、熊本、鹿児島と旅をされて、最後は奄美大島まで出かけた2011年の秋でした。
鹿児島はとても魅力的だったし、番組で読まれるお手紙もせつないものが多くて、30分で番組は終わるけれど、そのあともやんわりと余韻があって、どんどん旅に誘われたものでした。
ふるさとや、知らない町が私みたいなものでも行かしてもらえたら、何か見つけられそうな気がして、奥さんの実家の岩手や、父母の故郷の鹿児島や、育った町の大阪や、知らないところに出かけて、その町の空気を吸ってみたいなんて思ったものでした。
その中でも心をゆすぶられたのは、千歳市のインディアン水車で、サケたちがそこで進むのをさえぎられ、みんなとらえられてしまうものすごいかわいそうなところなんだけど、それでもそこに生きる人たちがいて、果敢に飛び越えようというサケたちもいて、そんな生命があふれるところに行ってみようと、
昨年の秋に行かせてもらったりもしました。
私の旅のおっしょさんとしての正平さんが確立されました。正平さんが訪ねたところは、どこもみんな旅ごころが感じられて、私みたいなものでも違う自分になれそうな、新しい発見ができそうな、そんな気持ちにさせてもらえたものでした。
そんなおっしょさんは、今年の春、持病の腰が悪化したということでキャンセルになり、秋は代走の人たち、長野の柄本明さん、山梨の田中要次さん、静岡の田中美佐子さん、岐阜の照英さんと進んできましたが、スタッフはいつもの人たちなのに、正平さんのいない穴は、埋まりそうで埋まらなくて、「まあ、来シーズンまで代わりの人たちで辛抱するかな」と思っていた矢先でした。
突然の訃報でした。まだ私の心にポッカリと穴が空くとかではなくて、まだ正平さんと一緒にこころは走っているような気持ちになっていたのに、もう現実の正平さんがこの世にいないなんて、まだ信じられないのです。実感はありません。
それでも受け入れていくしかないし、番組はどうなるのかわからないけれど、一度閉じるか、新しい誰かを探すのか、考えてもらいたいと思います。
正平さんは自転車を抱えて鉄道に乗りました。最初のころはその車内の風景も撮り、居合わせた人たちとの交流もありました。それがだんだん車内風景は撮らないで、駅のあれこれも撮らないで、人里離れた山の上からスタートという形が多くなって、コロナもあったし、いろんな問題も乗り越えてきたのに、肝心の正平さんがいなくなっては、番組もどうなるんだろう。
師匠はおられないけど、私は、私の旅を続けますか? 生きている限りいろいろと旅はしなくちゃいけないし、私はあまり人と上手に出会うということができていないオッサンだけど、私なりに出会っていきたいです。
今日はしんみりと寝ることにします。正平さん、ほんとうにありがとうございました。あなたの旅は忘れられません。少しでも自分のものにして、誰かにも伝えていきたいです。電車に乗るだけではダメですね。誰かに出会わなきゃいけないし、誰かを楽しませなきゃいけないし、穏やかな気持ちも運んでいきたいです。頑張ります。ありがとうございました。