何か月ぶりかで熊野の海を見て来ました。「熊野」って、紀伊半島の南部全体をあらわす言葉でもあるし、三重県の小さな町をあらわす言葉でもあります。
そして、この熊野さまというのは、黒潮に乗って、うちの奥さんの実家の岩手県まで広がって、立派なお社まであるわけですから、千年以上もこの国の中で浸透してきた言葉でした。
うちの奥さんのご先祖様は、熊野三山につながる人たちだということで、彼女は改めてお参りしたい、と最近になって言うようになりました。昔なら、簡単に行けたのに、今では少ししっかりした計画を立てない行けないところになってしまっています。
熊野市の海は、海に突き出た岩の塊の「鬼ケ城」という観光名所から、和歌山県の東の端っこの新宮市まで二十数キロの石ころの浜でできています。
鬼ケ城、いつも横目に見ながら、もう三十年ほど行けていないのです。たいていは用事で三重県南部に来ているので、鬼ケ城トンネルを抜けたら、目の前にパーッと海は開けるのに、早く用事を済まさなきゃと思ってしまう。それで、いつもスルーなんだな。
古道歩きをすることになったら、行ける時もあるでしょう。いつか、鬼ケ城を再訪してみましょう。いつだっていいから、行ける時にチャンスを見つけなきゃ!
浜に出た時から、向こうから歩いてくる集団は気になっていました。みんな揃いのジャージだから、中学生なのか、小学生なのか、コロナの嵐のせいで、移動が制限され、修学旅行が県内になったとか、あれこれ聞いていましたけど、この子らもひょっとして突然修学旅行が県内にさせられた子たちなのかもしれない。
詳しいことは本人たちに聞けばいいんだけど、そんなことはしなくて、ただ通り過ぎるのを見ているだけでした。
先頭にいかにもガイドさんらしい、緑のウインドブレーカーを着た人、その
人に案内されて、中学生のみなさんは歩いているようでした。
ひとつめ、ふたつめと集団は行き過ぎて、名所である獅子岩から、古事記にも書かれている花の窟(いわや)という岩がご神体のお社に向かうようでした。
若い人たちに、どれくらい興味を持ってもらえるかどうか、それはわからないけれど、だだっ広い浜、すべて楕円形の石ころがゴロゴロしていて、歩きにくいし、昔は浜で野球とかもできたという話で、今だってできないことはないんだけど、それよりも広く、大きく広がっていたということでした。
そんな昔話をされても、若い人たちは「あら、そうなの」というばかりで、どこから石がやってきたのかとか、なぜ浸食されつつあるのかとか、どうしたら浜は広がるのかとか、ここの浜辺で生きている生物はどんなのがいるのか、地元ではこの浜をどのように生かしていきたいのか、この浜を現代にどう生かせるのか、前向きな話が聞きたいだろうな。そんな話もしてくれたんでしょう。
とにかく、海との接点であるこの二十数キロの浜辺は、キレイだし、花火大会でも利用されているし、人々の心には引っかかってはいるんだけど、そこから何が生まれるのか、そんな話はなかなか聞かせてもらえないですね。
みんな、わざわざ浜をどうしようとか、そんなことを考えることもなく、ただそこに広大に広がっている海岸でした。