甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

あしたに道を聞けたら……中思46

2020年09月09日 21時19分19秒 | 中国の思想家のことば

 私みたいな迷いの多い、いい加減な人間が口にすることばではないのかもしれません。

 まあ、それは分かってはいるのです。でも、無理だからと、遠ざけていては何にもならないのです。霊魂やら、オバケやら、妖怪やら、そういうのは敬して遠ざければいい。触らぬ神に祟りなしでした。

 それ以外の、日常的なことや、日々努力していること、それらであれば、もう埋没しまくるしかありません。とことん、それらと関係を持つしかないのです。その中で、ごくたまに光明が見えるか見えないか、人生におけるチャンスなんて、ほとんどないのと同じでしょう。でも、諦めずに求め続ける、この姿勢がきっと大事なんだと思うんです。

 それで、孔子さんは何と言われてたんですか?
 
 どんな時だったのか、そんな時がやってきたのか、たぶん、永遠の未完成老人である孔子さんは、いつまで経ってもやってこない自分の究極の姿に、そんなの簡単には無理だよと諦めつつ、でも、突然ひらめくかもしれないから、いつがその時なのか、それは本人次第だよと思い、こんなことばを残されている。

42【朝(あした)に(      )を聞かば夕べに死すとも可なり】……朝、人間としての生き方を聞いて正しく理解し、自分のものとすることができたならば、その日の夕方に死んでも少しも悔いはない。または、生きているうちに真理を学ぶことが大切だという説もある。〈里仁〉

 私は、孔子さんの足元にも及ばない、とんでもないただの孔子さんのファンですけど、このことばも好きなことばの一つなんです。

 突然にその時はやってくるかもしれないのです。

 そして、もしその時がやってきたら、もう死んでもかまわないのだ、とお弟子さんたちに言われていた。

 お弟子さんたちは、そのことばを、どんなふうに聞いたらいいのか、わからなかったでしょうね。先生は、どういう意味で言われているのか、先生の求める境地って、一体それはどこなのか、そんなところに自分たちはたどり着けるのか、先生でさえたどり着けていないところに、どういうふうにして行けばいいのか。

 雲をつかむようなお話でした。

 でも、希望は捨ててはいけないらしい。老先生でさえ、そんななのだから、自分たちも、自分たちのやり方で、求めていたものをどこかから手に入れなくてはならない。

 そのありかは、全く分からないし、明日突然手に入れられるものなのかもしれないし、一生かけても見つからないのかもしれないのです。

 考えてれば、ストレスの多い探求ではあるのですね。

 何を求めておられるのか、それは人それぞれなのか。


 私は、いい加減な思いつきで考えるわけですけど、ああ、この瞬間、というのを別の自分が教えてくれる時、そんなの、めったにないけど、昔、どこかで感じたことがあったような気がするんです。

 ああ、このしあわせな、何とも言えない時間、これは永遠ではないけれど、とにかく今、たまたまそこに居合わせて、何かを見つけたような気分でいる、すべてが見通せるし、心は穏やかだし、背すじを幸せ感が行ったり来たりしていて、ものすごく心身ともに充実していると感じる。

 それをうまく冷凍保存できたらいいんだけど、しばらくしたら、その気持ちはすぐに輝きを失い、どこかへ消えてしまう。

 そして、思うのです。今何か充実していた。おそらく、これが自分の求めていた何かなんだろう。そのまま突き進んでいたら、違う次元にいけたかもしれないのに、それを保持することができなくて、またいつものつまらない自分に戻ってしまったけれど、次こそ、新たな、よりハイレベルの自分になるため、またしばらくコツコツやっていこう……と。

 夢なのかもしれないし、二度と来ないのかもしれないけど、私たちは理想の一瞬を手に入れるため、ずっと努力していくんでしょう。
 
 漢字一字でいうと?


 私の勝手な解釈なのかもしれません。

 でも、このことばには、そんな意味合いがあるものだと思っています。

 そして、「朝聞道」というのは、私の一つのテーマでもあるんです。

 答えは、42・道  でした。

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