森まゆみさんが、志賀町付近にあった漁協の組合長だった川辺茂さんから聞いた話を借りてきました。すべて『いで湯暮らし』(2013年 集英社文庫)からの引用です。
1969年でしたか、私が44歳のとき、高校2年になったばかりの次男をなくしました。風邪気味だったんで、風邪薬をのませたんですが、ピリン系の薬が体に合わなかったんですわ。病院に運んだときは手遅れだった。
そんなことが起こるなんて、何だか信じられません。たぶん、今だって、いろんなところに落とし穴はあるだろうけど、よくわからないままに、私たちは生きています。
死ぬ前に次男は、父ちゃんが治してくれると信じとったのに、といいました。その声はいまも耳に残っている。もうそのことが悲しくて悲しくて、ずっと人にもよう話せんかった。
何気なく飲ませた薬で、大事な子どもの命を奪われるなんて、悔やんでも、悔やんでも,悔やみきれないと思います。取り返しがつかないことを、何も考えないでしてしまったなんて!
ある日、声が聞こえました。あの子は神がお前に与え、必要があって連れ去った。肉体は失われたが、命は生きてると。そのとき肉体と命は別物だとわかりました。同時に信じていると油断する、ということがわかった。
いまの子ども、みんな大人を信じて頼っているのに、大人は子どもたちの生きる条件、海も山も、大気も水も、みんな売り渡してしまった。子どもたちの幸せをモノとカネに交換してしまった。
人間以外の生き物、牛でも犬でも虫でも魚でも、そんなことしますか。自分の子どもの命は守りますよ。過保護にはしないが。
とにかく今の日本は、子どもたちの幸せの条件・環境を、今生きている人間が必要だからと、カネに換え、モノを作っていたりする。そんな何十年も先のことよりも、今、目の前にあるものをカネにしなくてはと、必死になっている。
それでは、未来の子どもたちの声なんて、全く聞こえないですね。ああ、どうしたらいいのか。すべて未来のために行動しなくてはいけない、ということなのかなあ。