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やっと「しをんのしおり」(2005)を読みました。
ノルマという言葉を辞書で調べて、ロシア語なのだ。シベリア抑留から伝わった言葉だというのを書いた後で、
だいたい私は「ノルマ」という言葉を調べるために辞書を引いている場合であろうか。まだ今日は数学の問題集を8ページと、古文を6ページ、漢字の書き取りを20個に英単語15個覚え、英語長文一題を終わらせねばならぬというのに。
予備校時代が割と身近に感じられるなんて、若いですね!
しかも憂うべきことに、「今日」はもうあと残すところ二時間である。そうなると、明日に繰り越さねばならない分が確実に生まれるだろう。
こんなノルマに追われる日々というのを私は過ごしてますか? 過ごしてないですね。何もかも諦めて、何もしないんじゃないかな? いや、それなりにノルマは自分で見つけているはずなんだけど。
生きるというのは、「明日にしわ寄せをすること」なのだと、私は最近思うようになった。しわ寄せはどんどん明日に押し寄せていって、ついにはオホーツク海の荒波よりも大きな波になり、ある日、私の死とともに凪ぐ。その海底にはやり残した問題集がマリアナ海溝を埋め立てる勢いで沈んでいることだろう。
1976年生まれの三浦しをんさんに教わって、ああ、そんなものかもしれないなと思いました。もちろん私もたくさん海に投げ捨てるノルマがあることでしょう。
生きるということは、ノルマを「もう無理だ」と投げ捨てることとも言えるかもしれない。でも、少しでも自分のやれることをやる、いつまでやり続けるのか、そんなのは知らない。とにかくやる、それだけなのでしょう。
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ひりょうずがおいしい。というのは書きました。すべて奥さまのおかげです。シャケのムニエルもおいしかった。
こんなに毎日暑いのに、奥さまは私みたいなグータラにごはんを作ってくれます。私は、何かしてあげたでしょうか。私のノルマとは何だろう。
29日の朝、7時前、2時間前に起きたのに、パソコンが不調で、ずっとボンヤリしていました。こんな非効率では、ノルマは達成されません。もう、諦めて、今日もどこか涼しいところに行きたいです。本も読みたいです。
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30日になりました。こんなに毎日暑いと、「はやくナツなんか終わってほしい」と思ってしまうけれど、いつも思うことだけど、ナツが終わったら、一年も終わってしまう。残り四ヶ月あったとしても、ボンヤリしていて、なくなるくらい。
ということは、実はまだまだナツが続いてほしい。一年なんて終わってほしくない。いつまでも現状維持であればいいと、無理なことを望むのです。それはどんなに偉い人・権力のある人が、「時間よ止まれ」と言葉を発したとしても無理なんだ。時間は過ぎていくし、私たちは無理矢理一年を終わらせられてしまう。ああ、なんてことだ。