年が暮れて春になった。お正月のある日のことです。
奥さん(Kに対して)「Kさん、かるたをやりますから、誰か友だちをうちに連れて来てもらえないですか? 正月らしいことをしようじゃありませんか。」
K「私に友だちなぞは一人もないです。」
奥さん「あら、そうなんですか………。それじゃ、あなたの知った方でも呼んで来たらどうです?」
私「はい……、友だちなあ。誰か来てくれる人がいたかなあ。」
その日の夜
お嬢さん「ねえ、みんなでかるたをしようじゃありませんか。いいでしょ。たまにはそんなお遊びもいいでしょ。お正月なんですから。ねえ、Kさんやりましょう!」
私(Kに)「おい、君はいったい百人一首の歌を知っているのかい? そんな子どもの遊びみたようなことはしたことはないだろう?」
K「ああ、よくは知らない。あまり気乗りはしないが、まあ、やってみるよ。」
お嬢さん「まあ、それなら私はKさんの加勢をしようかしら?」
K「……」(何を考えただろう。うれしかったかな?)
私「そんな必要はないですよ。彼は気合いで札を取ってしまいますから。」
二人がほとんど組になって私に当るというありさまになってきました。
それから二、三日たった後のことでした。奥さんとお嬢さんは朝から市ヶ谷にいる親類の所へ行くといって宅を出ました。
Kは不意に仕切りの襖(ふすま)を開(あ)けて私と顔を見合わせました。
K(敷居(しきい)の上に立って)「何を考えている」
私[何も考えていなかったのです。もし考えていたとすれば、いつものとおりお嬢さんが問題だったかもしれません。お嬢さんにはむろん奥さんもくっついていますが、近ごろではK自身が切り離すべからざる人のように、私の頭の中をぐるぐるめぐって、この問題を複雑にしているのです。]
私はただ彼の顔を見て黙っていました。
K(私の座敷へ入ってきて、いつもの彼らしくなく)「奥さんとお嬢さんは市ヶ谷のどこへ行ったのだろう」
私「おおかた叔母さんの所だろう。」
K「その叔母さんとはなんだ?」
私「やはり軍人の細君(さいくん)だ」
K「女の年始はたいてい十五日過ぎだのに、なぜそんなに早く出かけたのだろう?」
私「なぜだか知らない」
私[Kはなかなか奥さんとお嬢さんの話をやめないなあ。私も答えられないような立ち入ったことまで聞いてくるぞ。これは面倒な感じか? いや違う。何だか不思議という感じだ。以前私からお嬢さんと奥さんのことを話題にして話しかけた時の彼とは全くKの調子の変っているじゃないか。どうしたんだろう?]
私「なぜ今日に限ってそんなことばかりいうのかい?」
Kは突然黙りました。口もとがふるえていました。
私[また何か出て来るかもしれないな……。何だろう?]
K「私は、お嬢さんに対して切ない恋の気持ちを持つようになったんだ。実は自分でもわからないうちに、どんどん自分の気持ちは高まってきたんだ。この気持ちをどうしたらいいと思う? どうか、君に助言をもらいたいんだ。」
私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものでした。
私[その時の私は恐ろしさの塊(かたまり)といいましょうか、または苦しさの塊といいましょうか、何しろ一つの塊でした。]
ああ、Kくんが先に私に自分の気持ちを吐露してしまいました。私にもチャンスがありました。一緒に房州を旅行した折に、お嬢さんに対する恋しい気持ちを持っている、というのをKくんに伝えたらよかったのです。
けれども、Kくんはその時には全く相手にするそぶりもなかった。というか、予防線を張るというのか、自分の気持ちが噴き出してしまわないように、上手に自分の気持ちを隠していた。そのための無表情であり、無視だったのかもしれない。そして、自分にチャンスが来たら、とことん吐き出したくなって、私にすべてを投げ出してしまった。
気持ちをぶつけられた方はたまりません。自分が何とも思わない女の人なら、「ほう、それはどんな子なんだい。いいじゃないか。どんどんアタックしたらいいよ」と応援団になれるでしょう。
でも、自分も好きだったら、「ボクも好きなんだ」と言えるかどうか。人によってはスッと言える人もいるだろうけど、言えない人だっているのです。ボタンのかけちがえがあれば、それがずっと続くのか、どこかで修正するかですけど、大抵の場合はかけちがえたままで、自分がこっそり先回りするとか、諦めてしまうとか、悲喜劇が生まれると思われます。
私たちは、自給自足で、自分たちのまわりでしか結ばれたい相手を見つけられないものなのです。だから、今の世の中はすべてを投げ出して、マッチングアプリなどで交際する相手を紹介してもらっている。そして、それでいいかもと思いつつ付き合っていくのでしょう。
自給自足がいいのか、AI等が教えてくれる人とつきあうのか。何とも言えない今の男女交際になっています。もう今の若者たち、自分で付き合う相手を探すのに疲れているかもしれないです。どうなのかな?