テレビを見てたら、ロスアンジェルスの格差社会のことが取り上げられていました。大抵はスルーする池上さんの番組をチラッとだけ見ました。
学生の何割かは住むところもなく生活しているそうです。住むところがないから、仕方なくクルマに寝泊まりする。それはいい方で、シェアハウスやら、といっても一つのフロアーいわゆるワンルームマンションを二人とかで過ごす。または路上生活しながら学生をやったりするということでした。誇張もあるだろうけど、そういうこともあるのかなと思いました。アメリカは何かとメリハリがあるというのか、ピンキリというのか、落差が激しいのです。
なぜそうなのかというと、年収二千万、三千万の人たちは社会の下流の人たちなのだそうです。ということは、中間層・上層部の人たちはもっともっとお金を持っているということになるのかな。すごい社会にあるのですね。
日本では老後を過ごすためのお金の額、または会社にお勤めした人がもらう退職金というものがありましたが、その額面が二千万、三千万でした。日本でそれくらい貴重なお金を、アメリカでは年収として得ている人たちがいる。日本でも二千万、三千万もらう人もいるんだろうけど、どれくらいいるのかわかりません。けれども、アメリカにおいては、その人たちは下流なのだという。
そして、持てる人たちは次々と不動産に投資し、家やマンションなどの住むところは、簡単には見つけることができなくなってしまった、ということでした。
アメリカでは、もらっている人たちは、一ケタ、二桁違うのだと思います。それが世界の当たり前、というわけではないけれど、つい何年か前までグローバル社会とか言われて、世界の価値観や生活が均一化される、みたいな幻想を持たされてきましたが、それは夢だったのですね。世界はやはりバラバラで、一つではなかったのか……。
だから、こんなに落差があるけど、ビンボーな国の日本でなら、何とか生きていけるんだろうな。だから、ビンボーな国に住む人々は、小さなことでヒーコラしなくちゃならない。
下を見ればキリがなく、上もどこまでも広がっている。
こうなりゃ、今だけ、自分さえ良ければそれでいいみたいになりますよね。
分断はこのままずっと続くんでしょう。持てる人は、その持ったものを維持・拡大しないと気が済まないし、持ってない人は、いつかあんな風に持つものを手に入れたい。それまでは辛抱して、セコく生きていきたい、なんて思うんでしょう。
世界の国々、みんなが自分の生活に追われる日々を送っている。為政者は、人々に寄り添い、その生活を守ると口にするけれど、自分のことを最優先する。流れとしては格差は広がり、わざとらしい政策のようなバラマキはあるだろうけど、私はそれを有り難くいただくだろうけど、為政者のみなさんのようなお金持ちには絶対になれないし、ならなくてもいいけど、せめて世の中はどうあれ、ビンボーでも楽しく過ごせたらなあ、なんて思ってしまうのでした。