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うちの子と歩くのは、たいてい夜でした。一歳半で三重県に来て、何もかもがお父さんとお母さんの二人だけで、友だちもいない。親戚もいない。ポツンと家族三人だけでの生活が始まりました。
ゴハンを食べたら、お父さんと二人、たまにはお母さんも加わって三人で、近所の町を散歩しました。
ずっと海の音はしていたと思うけれど、夜には海は見に行かなくて、ただ音だけで十分でした。
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狭くて小さな世界に三人はいました。ケータイもインターネットもなくて、衛星放送だけが世界とつながる窓だったでしょうか。
地デジもないので、地上波の放送はイマイチで、ちっともきれいじゃないし、まともに見れるものではなかった。
うちの子が二歳になる時、保育園に行き始めて、通算四年の保育園生活を送ることになります。その一年目が怖い先生で、イヤイヤばかり言ううちの子は、こっぴどく叱られ、密室に閉じ込められたり、厳しい保育園時代を過ごしたということでした。
後々になって、本人から教えてもらったけれど、そんなひどい教育が行われていたとは、知らなかった。かわいそうなことをしたものでした。あんなにわけもわからない子を、社会に関わらせようと二歳から保育園に行かせたなんて! 私たちの教育がまちがってました。あと一年遅らせてもよかったのに……。
あれから二十数年経ったけれど、悔やまれる一年でした。
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そんな散歩のひととき、何もクリエイティブではなかったけれど、おもしろおかしい会話をしたものでした。
たいていはお互いが目についたものを言い、もう一人がそれを繰り返す。いったいどういった意味があったのか、少しわからないんだけど、それがコミュニケーションだったのかもしれません。
たいていのことに「ウン」とは言わないうちの子が、どういうわけか、夜のお散歩だけはヒョコヒョコついてきました。もう、あんな時間は持つことができません。考えてみればほんの一瞬でした。
そこから新しい展開はなかったけれど、とにかく私たち父子は。その時そこにいて、おしゃべりしていた。同じことの繰り返しではあったけれど。
今は? 繰り返しさえしていない。オカーサンを介して意思の疎通をはかっているかもしれない。あかんなあと思います。