甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

うちの子と歩いた夜

2019年10月16日 05時46分38秒 | お絵かきクラブ

 うちの子と歩くのは、たいてい夜でした。一歳半で三重県に来て、何もかもがお父さんとお母さんの二人だけで、友だちもいない。親戚もいない。ポツンと家族三人だけでの生活が始まりました。

 ゴハンを食べたら、お父さんと二人、たまにはお母さんも加わって三人で、近所の町を散歩しました。

 ずっと海の音はしていたと思うけれど、夜には海は見に行かなくて、ただ音だけで十分でした。



 狭くて小さな世界に三人はいました。ケータイもインターネットもなくて、衛星放送だけが世界とつながる窓だったでしょうか。

 地デジもないので、地上波の放送はイマイチで、ちっともきれいじゃないし、まともに見れるものではなかった。

 うちの子が二歳になる時、保育園に行き始めて、通算四年の保育園生活を送ることになります。その一年目が怖い先生で、イヤイヤばかり言ううちの子は、こっぴどく叱られ、密室に閉じ込められたり、厳しい保育園時代を過ごしたということでした。

 後々になって、本人から教えてもらったけれど、そんなひどい教育が行われていたとは、知らなかった。かわいそうなことをしたものでした。あんなにわけもわからない子を、社会に関わらせようと二歳から保育園に行かせたなんて! 私たちの教育がまちがってました。あと一年遅らせてもよかったのに……。

 あれから二十数年経ったけれど、悔やまれる一年でした。


 そんな散歩のひととき、何もクリエイティブではなかったけれど、おもしろおかしい会話をしたものでした。

 たいていはお互いが目についたものを言い、もう一人がそれを繰り返す。いったいどういった意味があったのか、少しわからないんだけど、それがコミュニケーションだったのかもしれません。

 たいていのことに「ウン」とは言わないうちの子が、どういうわけか、夜のお散歩だけはヒョコヒョコついてきました。もう、あんな時間は持つことができません。考えてみればほんの一瞬でした。

 そこから新しい展開はなかったけれど、とにかく私たち父子は。その時そこにいて、おしゃべりしていた。同じことの繰り返しではあったけれど。

 今は? 繰り返しさえしていない。オカーサンを介して意思の疎通をはかっているかもしれない。あかんなあと思います。

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