大晦日の朝は、雨になりました。シトシト雨が降っています。
私は、トーストにハムをのせて食べ、チーズパン(大阪のディアグーテ)も食べ、コーヒーを二杯飲んで、夏ミカンヨーグルトを食べ、いつものお休みの日のようなぜいたくな時間を過ごしています。
確かに、大晦日にお仕事の人もいるだろうけど、私はたまたまお休みで、ゆったりしている。今日は、もう少ししたら荷物を積んでクルマで大阪に行きます。
もう何年かはこのパターンになりました。父がいる頃は、もう少し活気がありました。何だか年末こそ、実家にもどって年越しの準備の手伝いをしなくてはという機運がありました。年末には私一人でも実家に行って、一緒にワチャワチャしないといけない雰囲気があったんです。
でも、もう母一人で、そんなにテキパキ動けないらしく(ひざが悪くて)、あまり準備らしい準備もしないようです。何だか、年越しらしい気分は年々低下しています。
できれば、カゴシマで弟家族も呼んで、年末年始を過ごそうという話は、早々に計画倒れとなりました。母が自分の調子も悪く、お金が無くなるからと、行かないことに決めたので、私たちとしては母に従って、大阪でお年越しということになりました。
いつもなら、私は、人が何と言おうと、好きなことをして、みんなをゲッソリさせるために、18切符を買って、近所をめぐるはずでした。
でも、今年の冬は、秋の台風のせいで、いまだに亀山と柘植の間が不通で、バスの代行輸送をしているということで、つながっていないので、草津線で東海道に出るとか、そのまま乗り続けて奈良に出るとかができないので、あきらめることにしました。また、春に電車遊びをすることにしました。仕方がありません。
亀山と柘植(つげ)の間には、加太越えという難所がありました。スイッチバックしたり、三重連で蒸気機関車が走ったりして、マニアの間では人気のスポットだったそうです。
私の友人でも、中学生くらいに写真を撮りに行ったという人がいました。それくらい、ここの坂は大変なんですね。確かに加太駅から柘植駅に向かうとき、今でもディーゼルカーはヒーヒー言いながら上り下りしているので、機関車の時代は、それなりに大変だったことでしよう。かなり長い距離なのに、駅が一つもなくて、伊賀の国に入っていくには、トンネルで入るか、峠越えをして行くしかないようです。
いつか、リニアモーターカーがこの辺りを突き抜けていくということですが、うれしいような悲しいような、複雑な気持ちです。
今の時代なら、トンネル工事は着実にやっていけるだろうけど、それでも大変なものだろうし、リニアが通るということは、切り捨てられる鉄道路線もあるだろうなと予測されます。
だから、さらに人は電車に乗らなくて、いよいよ鉄道会社は足腰が弱っていき、高速鉄道だけを運営していくようになるんでしょうか。普段の移動はたいていクルマで、よほど遠くに行く時は高速鉄道ということになる。
でも、高速鉄道はお金がかかるから、貧乏人はクルマでトボトボ遠くをめざすことになるんでしょう。
それもこれも、仕方のない世の中の流れということですか。
2017年、3月に18キップで岩手から三重県まで旅してみました。宮沢賢治さんを探す旅でしたが、あまり人と関わることができなくて、残念でした。
8月は、奥さんの実家へクルマで旅しました。それは楽しかったけれど、これもあまり人と関われなかった。せっかくの旅なんだから、いろんな人と関わり、あれこれお話を聞かせてもらわなくてはならない。
たまに乗る近鉄では、旅にならないのですね。人との関わりがあまり生まれなくて、淡々と往復するばかり。ああ、人と関わる力、そういう関係力をこれから磨いていかないといけないです。
また、春に旅をしよう。人と関わることをこれからのテーマにしましょう。家族ともちゃんと話をしましょう。世の中のことも考えましょう。自分の未来も考えましょう。家の片付けもしよう。……すべて、私のできていないことです。
ダメダメな日々だったけれど、来年は少しでも頑張ったといえるような日々にしていきます。行動はともなってなくても、とにかく先ずは気持ちをしっかり持っていきます。
明日と明後日は、大阪でグータラしているのでお休みします。
実家ではネットができなくて、依存症の私としてはつらいところです。
というわけで、みなさま、よいお年越しをしてくださいませ。それから、来年こそ、何かよかったなと思えることが一つでも増えるように、お互いに何かしていけたらと思います。それではまた!!