最終日の直前の六月一日、奈良県立美術館に行きました。奈良の町は、たくさんの観光客と修学旅行生がたくさんなのに、県庁の裏にある県立美術館は割と静かでした。お客さんは、それなりにいたけれど、大盛況というのではなかった。
だから、それなりに自由に好きなものが見られたのですが、うちの奥さんは、ガラスケースの奥のB4くらいの銅版画があまりに遠くて、ちゃんと見られないと残念がっていました。
確かに、版画の展示といえば、ガラスの額に入っているのだから、もう少し近づいてみられてもよかったかもしれない。けれども、施設としては少し古い奈良県立美術館は、間近に見られるコーナーがなくて、1メートルくらい離れた版画を見せてもらう形でした。少し残念でした。
いろんなところを旅をして、大仏殿のように、自在に切り取っています。ドイツの人だけれど、オーストラリアに拠点を置き、そちらで大学の先生もされたということですし、奥さんは日本の方をもらったらしい。だから、東経135度を上がったり下りたりしているみたいで、中国に行ったり、アンコールワットを描いたりしています。
どんなふうに切り取るのかというと、その風景を自分の中で勝手に構成して、いろんな景物を組み合わせ、ついでに画面の中にコメントやら、日記やらを書き込んでいく。それを一切合切を作品にしている。
江戸期の洒落本とか、滑稽本とか、そういうスタイルを版画にしたような感じ。いや、銅版画だから、もっといろんな情報が書き込めます。色も塗りで見せるのではなく、線で色分けをしていく。
東洋なのか、西洋なのか、どこかでよく似たスタイルはないのかと思ったら、ピンと来たのはダビンチのいろんなスケッチがこんなかたちでした。
飛行機のスケッチを探してみようと思ったら、絵と解説のある次のような画像を見つけました。
こちらはスケッチだから、版画ほどの細かさはないですね。せっかくひらめいたけれど、ダビンチ風ではなかった。
絵とコメントが混然一体となった絵というもの、それは一つの世界だという気がします。たまたまダビンチさんはスケッチで、シュマイサーさんは銅版画で、自らの中にモヤモヤするものを描きました。
大人の絵本としてはどうだろう。
そういう見方もできますね。ガーンという一撃をくらわすのではなく、何度も何度も手元に置いて、クスクスと笑ったり、フーンと感心したりしながら味わうものなのかな。
奈良だから、たまたま東大寺押しだけど、もっと違う風景や人物・肖像画の世界もあるような気がします。
奥さんが落ち着かなかったから、しつこくは見られなかったんですけど、私どもの心のどこかに隠れている、シュマイサーさんの風景でした。
もっといろんな切り取り方を見せてもらいたかったかもしれない。人物・風景で分けてもらうと、分かりやすかったかもしれません。全貌が、もう見えなくなっていますもんね。