富士吉田がうどんの町なんて、つい最近知ったことで、昔よく遊びに行ってたころ、吉田の町でうどん食べたことあるでしょうか?
記憶の片隅に、どこかのおうちみたいなところの、お座敷に上がって食べた、というものがありますが、はたしてそれは事実なのか、それともテレビで見たものがそのまま自分の思い出になってしまったのか、それともどこかでおそばでも食べた記憶が、吉田の町でうどん食べたと、勝手に私の中で解釈されているのか、とにかくあまりに古い記憶なので、はっきりしません。
山梨県でおいしいものを食べたという記憶があまりないような気がします。楽しい思い出はあるような気がしますが、くわしい内容はまるで思い出さないし、それもあやしいですね。
もっと太宰さんみたいに、大ウソをつかなきゃダメです。あることないことみんなない交ぜにして、おもしろおかしく書かなければ、だれも振り向いてはくれません。
富士吉田ねえ、何か思い出はありますか?
富士急の富士山駅、昔は富士吉田という駅名でしたっけ、そこの駅ビルにはイトーヨーカドーが入っていました。関西出身の私は、イトーヨーカドーって、何だか不思議な名前だと思いました。今でも関東から来るお店は、変な名前のお店があります。マツモトキヨシとか、ドンキホーテとか、ワシントンとか、人の名前みたいなチェーン店というのがあるんだと、びっくりしたような記憶があります。
たしかそこで、デルモンテトマトジュースのデザインされた鉄製のゴミ箱を買った。ほかには、ところてんが食べたくて、ところてん突き器みたいなのも買いました。どうしてそんなものを買ったのか、今でも不思議な気がしますが、それで何だか自己主張した気分になったんでしょう。
どうして、若い人とお酒を飲んだり、夜中の富士山に話しかけたり、どてらから財布を落としたりするような、豪快かつうっかりとした生活ができなかったものか、そうすれば月見草と富士山という取り合わせも思いついたでしょうに、月見草の何たるかを知らず、富士山は富士山として、背景として記念撮影することしか知らず、本当に富士山とちゃんと向き合うことができなかった。
中学の時から、何度か見てきた富士山なのに、あれから四十何年も経過していますが、あまりいい関係を持てていないのです。いつも富士山に甘えていて、富士山と向き合えていない。
何がところてんだ、コノヤロー!
3年前の夏、ふたたび富士吉田に迫ってみようとしたのです。大人の私なら、富士吉田の魅力が見つかるかもしれないと思ったのです。
でも、まだ朝が早くて、道を歩いている人はおらず、交流しようとしても誰もいないし、自分自身が何だか焦ってあっちいったりこっちいったりしていました。
そして、それに疲れたら、富士山を探して、少しだけホッとしてみたりしました。
まるで大人ではないのです。
大人なら、もっとフツーの時間に訪れて、ちゃんと会いたい人・行きたいところを決めて、予約を入れて、その上で、そこで出会うはずの人とじっくりお話でもしたらいいのに、私はやみくもに落ち着かずに右往左往するだけでした。
そして、こんなペンギンの看板を見つけたら、鬼の首を取ったような気分になっていたのです。なんだ、つまらない。どこにでもあるペンギンです。
浅間神社にも行きました。社殿はまるでお獅子の顔みたいになっているなあと思ったものの、ただのそれだけでもっと社殿の由緒とか、冨士講の歴史みたいなものに思いをはせるとかしたらいいのに、していません。
おおきなヒノキの木だな、めおとヒノキというらしい。たしかに根本はわかれているのに、上の方は一緒になっているなあとか、そのまんまの感想しかありません。
ああ、確か、吉田ではよく焼き肉を食べに行きました。二千円くらいで焼き肉食べ放題というお店があって、みんなで食べに行ったような気がしますが、それもでっちあげの記憶でしょうか。
たしかそんなお店があったはずだけど、まあ、今となってはどうでもいいことですね。ウチの奥さんとデートで行きましたか? たぶん、行ってないですね。一緒に焼き肉なんて、若い2人には似合わないですもんね。
つまらない、不確かなことを書きました。
タモリさんが歩いた富士吉田の町、今度はいつ行けるのでしょう。よほどのことがないかぎり、もう2度と行けないかもしれない。
富士山にも登れないし、どんどんいろんな可能性がなくなっていきます。
でも、うどんは食べに行きたい気はします。吉田のうどんって、そんなにおいしいのかしら……。ちゃんと奥さまと一緒に行かなくちゃ!