甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

わたしの富士山 2013夏

2016年11月03日 18時35分21秒 | 空を見上げて

 特に何がというわけではありませんが、3年前の夏、わたしは1人で富士山への旅に出かけたことがあります。

 泊まるところはなくて、道の駅に泊まろうとする覚悟の旅でした。

 なかなか眠れなかったけれど、とにかくずっとエアコンをかけていた岩手のトラックが出かけたので、あっ朝だ。と気づいたわけですから、それなりに浅い眠りで、とにかくあまり寝ていなかったけれど、わりと元気で、空を見上げるというのか、南の方をながめてしまいました。


 灯りの列が細々と見えました。みんなご来光をめざして歩いているところなんでしょう。まあ、間に合わなくても、とにかく山頂に向かう途中で朝日が出てくれれば、それはそれでありがたいものだという気がします。

 3年前の7月の初めだったか、たぶん世界遺産に登録されてすぐのことだったかもしれません。

 あそこを歩いている人たちと、それをながめている私とでは、全く状況は違います。あの人たちは息を切らしながら、ただひたすら山頂をめざしている。私は、眠れないままに目覚めて、そのわりにはさわやかな気分で、富士登山をする人たちを見上げていました。

 全く違う状況ではあるけれど、同じ時空の中でおなじ空気を吸っていたのです。もし富士山が噴火すれば、同じように避難したことでしょう。でも、そういうことはなくて、時空はわりと近いけれど、求めているものも、一緒にいる人も、睡眠時間も、おなかの空き具合もまるで違っていた。

 何だかここを去るのがもったいなくて、近辺を歩いてみて、登山はしないのだけれど、せめて何か自分も動いてみたくて、写真を撮りがてら、あちらこちらを歩いてみました。


 北斎風の切り取り方をしてみても、主役は富士山だから、簡単にOKが出ます。私みたいなへたくそカメラマンでも、切り取っただけでそれなりのものができてしまう。


 空を大きくしてみたら、こんな感じになります。空だって、富士山と一緒だったら、何だか普通とはちがうし、見え方まで変わってくるような気がします。そして、まだ朝早いのです。


 ほら、河口湖から見た富士山もこの通り。でも、これはやはり太宰さんが言うように、少し出来過ぎかもしれません。富士山の形が整いすぎているし、均整が取れすぎです。これでは折り紙でも、クレヨンでも描けそうな気がします。


 最後は、朝霧高原のお昼くらいの富士山です。私のカメラでも、たまたまうしろがボケてくれて、いい感じになりました。デジカメは、クリアーかもしれないけれど、何もかもペッシャリでいけません。

 この時は、父のために、山梨の桃を買おうと右往左往したんでした。もっとちゃんと調べて、すばやく買ってこれたらよかったのに、今さらながら悔やまれます。あの時も今も、あいかわらずのガラケーで、現地へ行ったらその場で行き当たりばったりですからね。

 うちのお父さん、山梨の桃はおいしかったのかなあ。あいかわらずの息子だなあ、くらいにしか思ってなかったかなあ。まあ、あいかわらずですからね。かなしいけれど、何だか懐かしいし、また富士山行きたいですねえ。


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