近ごろ、小さいころ返りをしていて、何かを描こうとすると、小さい時のテーマであったヒーローものを描いてしまいます。
それは手本も見なくて、いい加減に描いてしまえるから、わりとそのままの流れにまかせて描いてしまう。
でも、この馬はどうしたというんでしょう。
私は、坂本繁二郎さんの馬の絵は好きだけれど、急にどうして馬なのか。
動物は前から描きたいとは思っていました。もう二十年以上前かなあ。アサヒグラフの動物特集・アフリカ特集の写真はファイルした記憶があります。自分の部屋がゴチャゴチャになっていて、簡単に取り出せないし、気持ちはあるけどいざ描いてみると、イメージとかけ離れているし、つまらないものしか目の前には現れません。
本物をリアルに描こうとしても、デッサン力、基礎的技術がないのだから、描けないのは当然です。でも、そこを描こうとしているのだから、まあ、好きなように描かせるしかないようです。
わがままに描いているから、それも飽きっぽいから、すぐにやめてしまうでしょう。
そしてまた、忘れたころに同じことを繰り返すのかな。そこを地道に突破できなきゃ、いけないのにな。
高校の時の文化祭で、学校のグランドに象さんを作ったクラスがありました。それを突然思い出して、描いてみたりしました。
近ごろ、やたらとセンチメンタルなので、そういう気分だったのでしょう。一人で描いたのではなく、みんなといる時に描きました。みんなもちろんノーコメントでした。
たぶん、最近のバットマン映画の影響なのか、あの暗い中にすっくと立つの影のヒーローというイメージがあったんでしょう。
それをバットマンそのものを描くと、下手さが目立つし、だったらそれを先ずマネて描いてみなくてはいけない。でも、わがまま絵描きの私は、イメージの中の仮面ライダーを暗い中に立たせてみたかった。
まだ暗さが足りない。そして、光も足りません。もっとコントラストをつけないといけない。
ウルトラセブンだって、もっと暗くしたかったのに、暗さが出せていません。まるで夕焼けの中にいるみたい。書き込む影も足りないな。
暗闇の中でたたずむ、というイメージはなかなか表現できていない。
いや、私のイメージそのものもあやふやなのかもしれない。
とうとうウルトラマンは、影にも入れていませんでした。
どうして影の中にこだわるのか?
これは、私の中で昔のヒーローたちが言うからです。
「確かに私たちはテレビの中で活躍してきた。あの30分の中で割と明るく、正しく動いてきた。けれども、それがすべてではなくて、私たちの別の側面も知りなさい。
もうキミは、そういうところに目を向けなくてはならない年齢ではあるはずだ。そうした一つの物語の別の部分を取り出す努力をしなさい!」
というような、声なき声があったのかもしれない。
光は見えやすい。影の部分は見えにくい。でも、この影の魅力を探さないことには、平板なままではないですか。光と影、それをうまくさばいて、サラッと取り出せる大人になりたいなあ。つい私は、単純にしかものが見られなくて、浅はかなところを低迷しています。
せいぜい努力します。何が見えるのか、それはわからないけれど。