
ある時わしらで鰹船を沖へ急がせているところへ波間から女らしい腰をした死体が白く光って漂い出てきた。仕事に向かおうと張り切った場合にこんなものと出くわして係り合うのはありがたくないから、一同は「仏を浮かべる」のは帰りにしようとささやき合った。相手には聞こえぬと知っていても自然と声をひそめたものである。「仏を浮かべる」とは「仏を浮かばせる」というつもりで、古来の漁師の儀式に則(のっと)ってこれを水葬して成仏させることなのである。舳乗(へんのり:へさきで海の様子を見る人?)が舳(へさき)から死体を見入りながら、
「わしらはこれから漁に出るところでいそがしい。今はこのままで通りすぎるが、帰りにはきっと浮かべる。待ってござれ」
とそう話しかけると、今までうつぶせに流れていた死体は、この時波がしらにあおられて、まるく黒い乳房のある上半身をひらりと仰向けにして、一瞬間、顔を船の方に向けてうなずき肯(うべな)うかのように波に揺られるとすぐもとの姿勢にかえって潮の流れのまにまに浮きつ沈みつどこかに没し去った。
わしらの船は、その日は一日中いい漁をして大漁の旗を景気よくへんぽんと翻(ひるがえ)し船足も重く帰ったが、帰りに仏を浮かべる約束を忘れてはいなかったから、潮流のかげんを見計らい見計らい、流れの上へ上へ、実のところ、二度と再びあの死体とはめぐり合いたくなかったので死体の流れ過ぎてしまったあたりに行こうと船を操っていたものであった。
何しろ仏を浮かべるには、面舵(おもかじ)を三べん回ったり、死霊と問答をする作法をしたり、式はなかなか面倒で時間もかなりかかる。夏の夕日ざしのなかで腐りやすい生物の荷を積み上げて一刻も早い荷上げをと焦っている折から、今日の帰りは往きと同様いやそれ以上に仏を浮かべるひまが惜しかったのである。
それで潮流を計ってうまく逃げたつもりでいたのに、何と、死体は約束通り浮かべてくれるのを待っていましたと言いたげに船の行く手に近く漂うているのであった。面倒なとばかり見て見ぬふりをして逃げ帰った。
そうしたら、その同じ船をその年の秋刀魚網に出したら、船がはかばかしく進まない。船には異状もないはずだとあたりを見回した舳乗(へんのり)が何気なく下を見ると波間に漂う黒髪をふりみだした女体が船とすれすれに流れ寄って頭を舳(へさき)にひっかけているのであった。斜に浴びせた月の光は、鰹船の夏の日に一目向き直って見せたあの顔をあざやかに照らし出して、思いなしか、あの日の違約を詰めるように見えた。こんなのがみなあの不思議な船に外尻をかける人々だ。
と、こんな話は好んで秋や冬の夜ばなしに語られて、語り手は最後に反り身になって組み合わせた両手をうしろざまに突きのばして舳に指をひっかけているポーズよろしく仕方話にしてみせるのである。この全く同じ話の後段を金毘羅詣での途上と話す者もあるらしいが、これはどうしても夏の日の鰹船と晩秋から初冬にかけての秋刀魚網でなくてはならない。それが熊野の海と季節感とを表現するためには変更することのできない条件なのである。
なお蛇足を加えるならば、この漂う女体の屍はまるく黒い乳房を見せていたというのだから生み月に近い孕み女ではなかったろうか。生きて一たびは愛する男に約束を破られ死しては荒海の波のなかで行きずりの男たちに約束を違えられた感がさぞ深かったのであろうというのがわたくしの解釈としてみたところである。

「山妖海異」の中でも、なかなか怖い、でも、漁師さんなら、どこがで今も語られていそうな、海と女の屍のお話です。それに関する佐藤春夫さんのコメントまでついています。
熊野の海って、1つではなくて、それは和歌山の田辺あたりから三重県の鳥羽くらいまで、紀伊半島の太平洋側のリアス式海岸の入り江ごとに、小さな港があって、港ごとにいろんなエピソードが転がっているのだと思われます。

昔、瀬戸内生まれの宮本常一さんが瀬戸内から対馬へつながる漁師さんのお話をまとめていたりしていますが、この熊野も本来であれば、だれかが収集し、保存しなくてはいけないのに、少しずつ消滅していると思われます。
佐藤さんが小説という形で残してくれた「山妖海異」も、本当にありがたい作品なのだと思います。
私は、この海に浮かんでた女性の話は、近世の怪談集にでもありそうだと思って、内容的にはすでに古典化しているというのか、もう古文的ですね。あとはオチがあるとよかったかなと思うんですが、そんなオチねらいじゃないですね。
「わしらはこれから漁に出るところでいそがしい。今はこのままで通りすぎるが、帰りにはきっと浮かべる。待ってござれ」
とそう話しかけると、今までうつぶせに流れていた死体は、この時波がしらにあおられて、まるく黒い乳房のある上半身をひらりと仰向けにして、一瞬間、顔を船の方に向けてうなずき肯(うべな)うかのように波に揺られるとすぐもとの姿勢にかえって潮の流れのまにまに浮きつ沈みつどこかに没し去った。
わしらの船は、その日は一日中いい漁をして大漁の旗を景気よくへんぽんと翻(ひるがえ)し船足も重く帰ったが、帰りに仏を浮かべる約束を忘れてはいなかったから、潮流のかげんを見計らい見計らい、流れの上へ上へ、実のところ、二度と再びあの死体とはめぐり合いたくなかったので死体の流れ過ぎてしまったあたりに行こうと船を操っていたものであった。
何しろ仏を浮かべるには、面舵(おもかじ)を三べん回ったり、死霊と問答をする作法をしたり、式はなかなか面倒で時間もかなりかかる。夏の夕日ざしのなかで腐りやすい生物の荷を積み上げて一刻も早い荷上げをと焦っている折から、今日の帰りは往きと同様いやそれ以上に仏を浮かべるひまが惜しかったのである。
それで潮流を計ってうまく逃げたつもりでいたのに、何と、死体は約束通り浮かべてくれるのを待っていましたと言いたげに船の行く手に近く漂うているのであった。面倒なとばかり見て見ぬふりをして逃げ帰った。
そうしたら、その同じ船をその年の秋刀魚網に出したら、船がはかばかしく進まない。船には異状もないはずだとあたりを見回した舳乗(へんのり)が何気なく下を見ると波間に漂う黒髪をふりみだした女体が船とすれすれに流れ寄って頭を舳(へさき)にひっかけているのであった。斜に浴びせた月の光は、鰹船の夏の日に一目向き直って見せたあの顔をあざやかに照らし出して、思いなしか、あの日の違約を詰めるように見えた。こんなのがみなあの不思議な船に外尻をかける人々だ。
と、こんな話は好んで秋や冬の夜ばなしに語られて、語り手は最後に反り身になって組み合わせた両手をうしろざまに突きのばして舳に指をひっかけているポーズよろしく仕方話にしてみせるのである。この全く同じ話の後段を金毘羅詣での途上と話す者もあるらしいが、これはどうしても夏の日の鰹船と晩秋から初冬にかけての秋刀魚網でなくてはならない。それが熊野の海と季節感とを表現するためには変更することのできない条件なのである。
なお蛇足を加えるならば、この漂う女体の屍はまるく黒い乳房を見せていたというのだから生み月に近い孕み女ではなかったろうか。生きて一たびは愛する男に約束を破られ死しては荒海の波のなかで行きずりの男たちに約束を違えられた感がさぞ深かったのであろうというのがわたくしの解釈としてみたところである。

「山妖海異」の中でも、なかなか怖い、でも、漁師さんなら、どこがで今も語られていそうな、海と女の屍のお話です。それに関する佐藤春夫さんのコメントまでついています。
熊野の海って、1つではなくて、それは和歌山の田辺あたりから三重県の鳥羽くらいまで、紀伊半島の太平洋側のリアス式海岸の入り江ごとに、小さな港があって、港ごとにいろんなエピソードが転がっているのだと思われます。

昔、瀬戸内生まれの宮本常一さんが瀬戸内から対馬へつながる漁師さんのお話をまとめていたりしていますが、この熊野も本来であれば、だれかが収集し、保存しなくてはいけないのに、少しずつ消滅していると思われます。
佐藤さんが小説という形で残してくれた「山妖海異」も、本当にありがたい作品なのだと思います。
私は、この海に浮かんでた女性の話は、近世の怪談集にでもありそうだと思って、内容的にはすでに古典化しているというのか、もう古文的ですね。あとはオチがあるとよかったかなと思うんですが、そんなオチねらいじゃないですね。