甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

宇治橋 竹内浩三さん

2023年06月21日 20時34分38秒 | 三重の文学コレクション

 三重県に生まれた竹内浩三さんの詩を取り上げてみます。

 伊勢の内宮にお参りしようとすると、五十鈴川を渡らねばならなくて、この宇治橋を渡ると、神様の世界へたどり着きます。だから、年がら年中、皇宮警察はこの橋のたもとで怪しいものが来ないか、神様をお守りしています。

 そんなことをしないと、とんでもないヤツらから神様を守ることができないもんだろうかなあ。ニワトリたちは、川の向こうの神様の世界で楽しく生きているとは思うんだけど。

   宇治橋

ながいきをしたい
いつかくる宇治橋のわたりぞめを
おれたちでやりたい

ながいとしつき愛しあった
嫁女(よめじょ)ともども
息子夫婦もともども
花のような孫夫婦にいたわられ
おれは宇治橋のわたりぞめをする

ああ おれは宇治橋をわたっている
花火があがった
さあ、おまえ わたろう
一歩一歩 この橋を
泣くでない
えらい人さまの御前だ
さあ おまえ

ぜひとも ながいきをしたい

 これは、1941~1945までのどこかで書かれた詩です。

 浩三さんは、1921年生まれで、1929年の8歳の時に、伊勢の街全体で内宮・外宮の造営やそのご用材を町中でお披露目するお木曳きなどを体験したでしようか。本当なら、1949年に次回の遷宮があってもよかったけれど、戦後の混乱があったので、1953年にやっと戦後の遷宮がスタートします。

 最近は、2013年にありましたので、もう10年前のことです。この時に浩三さんがおられたら、92歳で、息子夫婦は60代、孫夫婦は30代で、思い描いたように親子三代で渡り初めができたでしょう。

 浩三さんは、そんな長生きして、家族みんながお互いの長寿を祝う、そんなことができたらいいなと思っていたんですね。

 でも、浩三さんの命は、1945年のフィリピンで終わってしまうのでした。そんなこともある程度予測して、長生きできないかもしれないけど、もしできたら、遷宮があって、20年ごとにリフレッシュされる神様の場所に行きたいなと思っておられた。

 普通に、20代の若者としては、少し覇気がない夢だけど、それだけ自らの先が見えないことを感じておられた。だから、かなわぬ夢として、渡り初めする家族を思い描いたんですね。

 そんな夢を簡単に摘み取る社会・国家って、そんなの要らないね。簡単な夢を、本人の努力の上で実現できる社会を持ちたい。みんなが同じような希望が持てるように、人の夢を踏みにじるヤツらを退場させたいです。

 

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