2023年5月27日、土曜日の朝日新聞の地域総合のページに、津市の92歳の方の「語り継ぐ戦争」という記事がありました。伊藤智章という記者がまとめたようです。
玉音放送があり、勤労動員されてた落合さんという方はやっと解放されることになった。当時は14歳くらいになるんでしょうか。9月に通っていた中学に復帰することになりました。
運動場は芋畑になっていた。元担任は戦地に行ったっきり。息子を戦死させた教師が悄然としていた。
校長が訓話した。「敗戦を予想し、配属将校と話し合っていた」という。分かっていて、私たちを戦争に駆り立てたのか。ひざが折れるようだった。
校長さんだって、他の大人たちだって、こんなに攻め込まれているのだから、日本の敗戦を感じていない人がいたとしたら、よほどの自信家か、ボンヤリした人だったでしょうか。みんな分かっていたのです。でも、口に出して言えなかった。その状況が問題でしたね。でも、そういうこと、今でもありそうです。みんな分かっているのに、気づかないふりをしている。
教頭が「民主主義」を語りだした。欧米の個人主義をこき下ろしていた人だった。大人は信用できないと思った。
こういう立場にいられるのって、有り難いですね。私には責任がない。大人たちがやったことだったのだ。大人たちが仕組んだことなのだ。確かにそうなのだけれど、大人たちの責任はすべて子どもたちに覆いかぶされているのに、それを知らんぷりできる、というのはいいなあ。
今なら、こんな態度は許されないかもしれない。今は、みんなが連帯責任をしょわされているはずです。
その後、自分が就職する段になると、学生運動が盛んな時代を通り越すので、学校の先生になった時には、こんな待遇だったと言います。
私も日付のない退職届を出させられ、ようやく小学校に就職した。いつでも辞めさせられるというわけだ。「授業で憲法の解釈に深入りするな」とも言われた。
このアドバイスをしてくれた人は誰なのか、同僚なのか、管理職なのか。記事はここで終わっているので、細かいところはわかりません。けれども、面倒なところをくわしくやっていると、どこでチェックされるかわからない、というのはずっと続いていたんでしょう。
こんな風に管理されるところとして学校現場は存在したということなんでしょうか。それとも、自主規制で、当たり障りのないことだけをやっていればいいという生きる知恵だったんでしょうか。
今も同じなのかもしれません。