甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

紀州と中上健次とわたしと

2022年05月05日 15時15分16秒 | 三重の文学コレクション

 私は、三重県に住んでいます。松阪にお城はありますが、あれは、城主は誰だったろう? 安土桃山末期に蒲生氏郷という英雄がお城や町づくりをしたことはりましたけど、蒲生さんは徳川と伊達の牽制役として会津若松に転勤させられて、江戸時代は和歌山藩のお城だったような気がします。

 また、ちゃんと調べてみます。それくらいに松阪市民なのに、お城の公園にも遊びに行ったりするのに、そこに誰がおられたのか、まるで記憶にないなんて、何というミスなんでしょう。

 雲出川という川を隔てて北に行くと、津は藤堂家の管理しているところでした。違う世界になっていた。松阪は、和歌山の世界だったのか。道理で、うちの住んでるところは、天気予報では三重県中部というよりも、三重県南部のお天気の方が現実の空に合っているところがありました。

 松阪は、伊勢の国には入るけれど、お城は紀州藩の系列だったような気がします。境目のところにあるんですね。

 中上健次という作家は、和歌山県の新宮の生まれで、熊野川を越えたら三重県ではあるけれど、県は変わるけど、世界としては熊野地方で、彼にとってはどちらも同じ世界でした。

 というんで、紀伊半島の東から西、最南端、すべて「熊野」でくくれるところを中上さんは旅して、それをまとめたものが『紀州 木の国・根の国物語』
(1977年7月~1978年1月の朝日ジャーナルに連載→1978単行本)という作品でした。

 私は、いろんな本をとっかえひっかえ落ち着かずに読んでるから、久しぶりにこの本も取り出してみたんです。


 中上さんの旅は、現在の私にもつながってきます。中上さんは新宮に生まれた。東京に出ていた時もあるけど、新宮にもどって、こちらの素材で作品を作り上げることをした人でした。

 朝日ジャーナルの連載は、取材であり、自らのルーツを探る旅でもあり、こういう私を生んだ紀伊半島・日本という国は何か、そういうのを問うていた物語だと思っています。

 家には本があるんですけど、自分に関連するところしかチラッと読むだけで、なかなか全体像をつかめていないんですけど、それに読むのに苦労するんですけど、その「熊野」とは何か? という問いは、私も今もって問いは持ったままです。

 問うてはいますが、答えなんてありません。人にはあまり出会わないし、年に何度か用事で行ったりもしますが、用事が済んだら、すぐに帰ってしまうし、何もわからないまま、ボンヤリとした問いが残るだけではあります。


 よその人から見たら、中上健次も、この私も、「あなたは何をエラそうに気取ってるの? ただの田舎でしょ? 世界遺産になれたんだから、それでいいじゃないの! 特に珍しくもないし、人もあまり住んでないし、産業もないし、少しずつ寂れていっている、どこにでもある日本の話でしょ」と見えるはずです。

 でも、何か違うところもある。太平洋岸の高知の海沿い、伊豆半島、房総半島、それらと少し似た部分もある。でも、違うのは山深さの量でしようか。都会からものすごくかけ離れているというところ。特急で三時間ほど、高速道路なら数時間、飛行機なら白浜に一時間ほどで行けたりする。

 山は深いけど、ただの田舎でしょ?

 そういう気もするんですが、何かが違う。

 紀伊半島、紀州とは、いまひとつの国である気がする。
 まさに神武以来の敗れ続けてきた闇に沈んだ国である。熊野・隠国(こもりく)とはこの闇に沈んだ国とも重なってみえる。その隠国の町々、土地土地を巡り、たとえば新宮という地名を記し、地霊を呼び起こすように話を書くとは、つまり記紀の方法である。

 ミワサキ、ウグイ、ナチ、テンマ、カツウラ、タイジ、見慣れた漢字を取り払い、音だけにすると、この半島の隠国、敗れて闇に沈んだ国の異貌がみえる。コザ、ヒメ、ワブカ、スサミ、アッソ、町の名はそう続く。何やらその地名の発音は、南島のもののようにみえるのである。

 中上さんがカタカナで取り上げた地名は、新宮から紀勢本線に乗って南回りで串本を経由して白浜・田辺へと続くときに出会う町・地名ではありました。

 そうか、中上さんは海沿いの和歌山の町に南の島の感覚を感じていたらしい。私はどうなんだろう。つづきは、また今度書きます。

 連休が終わって、やっと三重県に帰ってきました。何だかうれしいし、快晴で外は暑いですけど、家の中は風が吹き抜けて、いい感じです。

 もう少し勉強しないといけないです。また、今度!

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