甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

絲山秋子さんのパンダ

2022年07月31日 06時34分58秒 | 三重の文学コレクション

 絲山秋子さんという方を最近知りました。私は、三重の文学を探していているのですが、絲山さんは東京の方でした。けれども、福岡・名古屋でお勤めもされたそうで、その時の体験から、三重のことも書いてみたということなんでしょう。

 彼女の愛車は、フィアットだったそうです。イタリア車がよかったそうです。そういう出会いがあったんですね。[今回は引用ばかりで、申し訳ないです。フィアットのHPから借りてきました。]

 自分の好きな車について語ったとき、相手が同じように気に入って喜んでくれたらどんなにいいだろうと思う。けれども、世の中はそんなに甘くない。絶望の言葉というものもある。イタリア車だけではなくどんな車でも共通するのはこんな言葉だ。
 「で、その車のどこがいいの?」
 質問のようだが答は求められていない。「良さをわかるつもりはありません」という意味である。すばらしい性能やスペック、見た目の美しさや乗り心地の良さなどについて、どんなに言葉を尽くし、表現を工夫して伝えようとしても相手の納得は得られない。

 クルマ選びって、不思議です。身近にお店があったからとか、親戚がここのクルマを扱ってたからとか、うちは先祖代々ここのクルマだからとか、いろいろな理由でクルマと人はつながれていきます。

 そんなにクルマなんて変わりはないようだけど、愛着はものすごくなるから、そうなると、よその会社のクルマを受け付けなくなったりするんでしょう。

 私は、四十年くらい昔に先輩から「ホンダのクルマは違うよ」というのをインプットされて、最近はホンダが三代、その前はニッサン、トヨタもありましたけど、さて、これからクルマ選び、どうするんだろうね。もう乗らないか? いや、田舎では必需品ですからね……、乗らないわけにはいかないと思う。

 フィアットも、シトロエンも、ワーゲンも、憧れますけど、乗れていません。残念ですね。まあ、縁がなかったと思うしかありません。



 大学を出るまで東京の実家にいた私が、就職して初めて赴任した土地が福岡だった。九州に行ったことも一人暮らしをしたこともない。もちろん社会人としての常識も商品知識もない。専門用語と方言の区別もつかなかった。毎日、初めて覚えることばかりで新鮮だった。喧嘩や反発もしたけれどやる気と体力だけは充実していた。営業車の運転に慣れてきて、二十五歳で初めて買った車がフィアット・パンダである。

 営業のお仕事をされて、やがては作家になるんだから、努力されたんですね。ちゃんと好きなことがあったんですね。文章もわりと滑らかに話してくれてる感じがするんだけど、お仕事が影響してたのかなぁ。いやいや本人の努力なんでしょうね。

 フィアットのパンダを買われたそうです。ディラーのお兄さんに「パンダにはできないことはない」と言われて購入したそうです。

 もちろんパンダは小さな車だしリッターカーなので出来ないことは結構あった。でも、出来ないことは出来ないと伝えてくれる正直な車だった。

 パンダのおかげで、コーナーでは丁寧にアクセルを踏み、ポンピングブレーキでしっかり止まること、水温の変化を見逃さないこと、強風に気をつけること、高速道路では常に勾配を意識してスピードを保つことなどが身についた。それらはただのルールではなく、車の調子や寿命にも関わることだった。もちろん、チョークボタンを引いて暖機運転をするとか、加速するときはクーラーを切るとか、異臭がしないか気をつけるなどといったプラスアルファの部分もあるが、パンダが教えてくれたのは大事なことばかりだと思う。
 
 クルマの運転において、やらなきゃいけないこと、基本的なこと、思い出させてくれる文です。クルマの機嫌や様子を見ながら運転する。これは基本でしたし、いつも同じようにこき使われるけど、日々の具合みたいなのはありますね。



 記憶には、頭で覚えるものと体で覚えるものがあるという。私の場合、頭の記憶力はかなりのポンコツで、目で見たことも言葉で知ったこともすぐに忘れてしまう。たとえば人の顔と名前を覚えるのが苦手で意外な場所で会ったら誰だかわからない。数字にも弱くて自分の車のナンバーが覚えられない。郵便番号や家の電話番号も出てこない。覚えておきたくて写真を撮れば記憶までトリミングされて、フレームの外側の景色が消えてしまう。



 けれども、パンダで出かけた場所の記憶は鮮明だ。海水浴に出かけた糸島半島も、平戸の美しい浜辺や川内峠の見晴らしも、唐津城の手前の虹の松原も、別府から阿蘇へ向かうやまなみハイウェイの緑の眩しさも、すばらしい放水が見られる熊本の通潤橋も、そこに至る道の隅々までがストリートビューよりなめらかに、連続して思い出せる。もしも今から行けと言われても地図は必要ないと思う。

 九州のあちらこちらを走った時の記憶ですね。そんなにいろいろと素敵なところがあったんですね。平戸、虹の松原、やまなみハイウエイ、通潤橋、全部憧れてるけど、私には行けていないところです。

 さて、やっと三重の文学のところです。

 名古屋に転勤してからは紀伊半島と北陸が行動範囲に加わった。三重県の員弁(いなべ)から滋賀県の永源寺に抜ける隘路の石槫(いしぐれ)峠に突如として現れる車幅制限のコンクリートブロックも、奈良県の吉野から紀伊半島を縦断して熊野灘へと南下していく川沿いの道も、敦賀から加賀へと向かう海岸線の道も、昨日走ってきたかのようにありありと思い出せる。なぜかと言えばそれらの記憶は、パンダのダブルサンルーフを停めるゴムバンドの手触りや、シャッター式の灰皿の蓋を滑らせる面白さ、上下のスライドが結構固いライトのスイッチ、箸箱の蓋みたいなウィンカーレバーの感触などとしっかり結びついているからだ。手の記憶はぶれることがない。いつでも確実に同じ感触を呼び起こすことができる。

 三重の石榑峠、これが三重の四日市と滋賀県の八日市(現在は東近江市)をつなぐ八風街道という道にあるみたいです。地図で見たら、こんな山の中を走っているのかと思ってましたけど、最近はトンネルができて、道もよくなったということてすが、私はまだ行けてません。お水のおいしいところがあって、それはなかなかみたいですけど、それは人から話も聞くけれど、行けてないのです。 

 

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