甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

無常を感じること、熊野ドライブ!

2021年11月08日 21時03分33秒 | わたしたち、家族

 先日、二十数年前まで住んでいた三重県の南までドライブに行きました。たまたまうちの子もついて来てくれて、私のクルマを運転してもらいました。おかげさまで助手席に座って、好きなところを写真を撮らせてもらったり、少し眠くなったりしながら、いつもだったら、そんなことは許されないのに、うちの子に任せてホッと一息ついてクルマに乗っていました。

 うちの子は、なんにも分からない時に大阪から三重県に連れてこられ、それも特急で四時間近くもかかり、フラフラになって和歌山から三重県へと渡り、それでヒョコッとそこに六年住んでいました。小学校1年までそこに住みました。

 小1の時、通学は20分ほどで、集団登校ではないので見様見まねでまわりの子たちのあとについていきながら、学校まで歩いて行ったようです。誰か一緒に歩いてくれるお兄ちゃんかお姉ちゃんがいてくれたらよかったのに、保育園からほんの少し歩くだけだし、何とか行けるだろうとそのまま通学したようでした。

 けれども、お母さんとしては毎日帰って来るまでが心配で心配で、忘れ物をしたり、道沿いにくつ袋を置いてきたり、ハラハラドキドキの日々だったようです。

 そんな思い出の町でした。私たちの思い出よりも、うちの子が大きくなっていく時のあれやこれやが私たちの大事な記憶だし、忘れっぽい私でもいろんなシーンがよみがえります。

 近所の川でナマズをつかまえて、それを家の水槽で飼っていたら、買ってきた金魚を毎日パクパク食べてしまったり、水槽を置いてたケースで顔をケガさせたり、生き残ってたサカナたちを引っ越し前に川に戻しに行ったり、うちの子は川が好きでした。今も好きだと思うけれど、最近はそういうところへ行ってないんじゃないかな。


 家族3人で熊野灘まで来たら、当然波打ち際まで行きたいし、そこで寄せ来る波をいつまででも見ていたくなります。実際はすぐにどこかに移動しなきゃいけないんだけど、この熊野の海は、わりと私たちと親和性が高い気がする。

 時間はそんなにないから、つい切り上げてしまうんだけれど、あまり言葉も交わさず、それぞれで海と向き合うのです。何枚か写真とかは撮るのはお決まりだけど、そんなにいいものも撮れなかったから、これは去年の秋のものでした。

 毎年秋には、三重県の南・熊野地方に行くことになっています。知り合いとかに出始めたミカンを送るために、奮発してこちらに行くことになります。

 東京の友人は、映画の仕事で三十数年前こちらで裏方の仕事で走り回ったそうで、彼にとっても原点の一つになってたんでしょう。そんな風に彼たちを振り回してくれた台風の目の人、中上健次さんがまだおられて、あちらこちらに出没されてたようです。私は残念ながら、お会いするチャンスはなかったんですけど、一度怪しいクルマが止まっているなあと、用心しながらすれ違ったら、中上さんだったことはありましたけど、まともに出会ったことはありませんでした。

 でも、彼は火山みたいな人だったから、いつもグツグツと大地の動きは感じさせてもらってたんだと思います。



 帰宅したのは17時くらいで、それからはいつもの私たちの生活で、運転もあまりしなかった私なのに、21時くらいには寝てしまいました。

 すると、うちの子と奥さんの話し声がします。二人は何かについて話し合っていました。

 ついついつられて起きてしまって、二人が話しているところに参加してみると、うちの子が言うのです。

 「今までは懐かしさみたいなものも感じ、海を見て癒されるところもあった。でも、今回は何だか虚しさを感じるんだよ。」

 「なんで虚しいの?」

 「友だちも今まで特にいないし、何にもできていない自分がいるだけなんだ。こんなんでいいんだろうか。何とも言えない虚しさなんだよ。」

 それで、私はうちの子に何も助言を与えられなくなりました。


 私だって、もちろん空っぽだし、なんにも世の中に対してできていないし、人に喜んでもらったこともあまりないし、何のために私がいるのかわからない。でも、少なくとも、私たちは、うちの子を中心に時間を過ぎてきて、奥さんとも、彼女からは「あなたの愛が足りない」と日々言われたりしているけど、とりあえずつながって、やってきています。

 私には、お父さんだって、何にもないのです。でも、とりあえず、自分なりには過ごして来たという時間があって、もちろん頭の中はカラッポ、お金もカラッポ、筋肉は日々落としているし、ぜい肉と脂肪だけがあふれているんだけど、そんな自分でも生きてきたんだという時間だけがありました。

 たぶん、これからも大したことなく、つまらないことばかりにこだわった、ひねこびた時間があるはずです。でも、それが私でした。

 うちの子は、うちの子なりにカラッポではあるんだけど、どんなことをして時間を過ごすのか、それがまだ決まってないんでしょう。虚しさのとっかかりに来ただけなんですよ。

 日々、自分のカラッポに向き合いなさいなんて、そんな禅僧みたいな、わけのわからない変なこと言いたくないし、うちの子なりに何か見つけてもらいたいな。

 なんて、ブログ書いても、うちの子は見てくれないし、もう、自分で見つけてくれるまで、またどこかにドライブに行きたいと思います。

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