鳥羽法皇という方は、28年間院政を行ったということです。そりゃ、1つのシステムを行うには、長くやりつづけるのは大事です。この二十数年で人々は院政とはどのようなものか、知ったことでしょう。
平安時代四百年の真ん中あたりは、藤原氏の摂関政治全盛の時代でした。それが、最後の百年は、天皇を引退した上皇・法皇が、わりと自由に、かつ高飛車的に、思いつきであれこれと自分たちのやりたいことを指示を出して、世の中を治めようとしていました。
鳥羽法皇さんがなくなれば一区切りで、二重行政というのか、2つの政府ではなく、シンプルな天皇のまわりの人々による政治が行えた。
それが、法皇が亡くなられてから、たったの2年しか経っていないのに、後白河法皇は譲位して、院という形で政治を始めることにしたのでした。そして鳥羽さんより6年長い34年間の院政を行ったそうです。
井上靖さんが、それを書いていたので、取り上げてみます。
後白河帝のご譲位のことは一般には寝耳に水でございました。誰もそのようなことになろうとは夢にも考えておりませんでした。もう内裏と離宮に分かれることはなく、天皇が親しく政(まつりごと)をお執(と)りになる時代が続くのだとばかり思っておりましたところ、そうしたことは一朝(いっちょう)にして消し飛んで、後白河帝もまた院政をはじめられることになったのでございます。
新造の内裏がご窮屈なのだとか、上皇となって、気楽なお立場をとりたいのだとか、あるいはまた信西入道の思惑(おもわく)をお砕きになって、そうそう思い通りにはならぬというところをお見せになったのだとか、いや、そうではなくて、すべては信西入道の方寸(ほうすん)から出ていることであるとか、いろいろウワサが流れました。「西行」1977 学研
たぶん、NHKの大河では、信西入道は小沢栄太郎さんが演じていたような気がします。本当に憎たらしい官僚で、冷淡に何もかも切り捨ててしまうから、世の中の反発を買ったという感じで、見事に演じていたようです。そんな権力者も、平治の乱であっさり歴史の舞台から消え去ってしまう。
井上靖さんが描いているのが、本当に当時の雰囲気だったのか、それはわからないけれど、また院政だから、混乱は続いたというのか、2つ太陽があるというのか、みんなが後白河さんの所へご注進にいそしむような、みんながイヌっころのように法皇さまに気に入られるように、いいこぶることが続いたことでしょう。やはり、政権が2つあるというのはよくない気がします。
新しい時代が来る、という感じではないですね。
でも、院政はわるいことばかりではなくて、歌謡集やら、絵巻物がたくさん作られたり、文化的には楽しい時代であったのかもしれないです。
そうでした。この前の連休、奈良国立博物館で、信貴山縁起絵巻を見たんでした。私は面白かった。奥さんも楽しんでもらったもたいでしたが、体調がすぐれなくて、あちらこちら連れて行くことができませんでした。それはザンネンだけど、この停滞もまた夫婦のつながりの1つですから、これもOKということですなあ。
平安時代四百年の真ん中あたりは、藤原氏の摂関政治全盛の時代でした。それが、最後の百年は、天皇を引退した上皇・法皇が、わりと自由に、かつ高飛車的に、思いつきであれこれと自分たちのやりたいことを指示を出して、世の中を治めようとしていました。
鳥羽法皇さんがなくなれば一区切りで、二重行政というのか、2つの政府ではなく、シンプルな天皇のまわりの人々による政治が行えた。
それが、法皇が亡くなられてから、たったの2年しか経っていないのに、後白河法皇は譲位して、院という形で政治を始めることにしたのでした。そして鳥羽さんより6年長い34年間の院政を行ったそうです。
井上靖さんが、それを書いていたので、取り上げてみます。
後白河帝のご譲位のことは一般には寝耳に水でございました。誰もそのようなことになろうとは夢にも考えておりませんでした。もう内裏と離宮に分かれることはなく、天皇が親しく政(まつりごと)をお執(と)りになる時代が続くのだとばかり思っておりましたところ、そうしたことは一朝(いっちょう)にして消し飛んで、後白河帝もまた院政をはじめられることになったのでございます。
新造の内裏がご窮屈なのだとか、上皇となって、気楽なお立場をとりたいのだとか、あるいはまた信西入道の思惑(おもわく)をお砕きになって、そうそう思い通りにはならぬというところをお見せになったのだとか、いや、そうではなくて、すべては信西入道の方寸(ほうすん)から出ていることであるとか、いろいろウワサが流れました。「西行」1977 学研
たぶん、NHKの大河では、信西入道は小沢栄太郎さんが演じていたような気がします。本当に憎たらしい官僚で、冷淡に何もかも切り捨ててしまうから、世の中の反発を買ったという感じで、見事に演じていたようです。そんな権力者も、平治の乱であっさり歴史の舞台から消え去ってしまう。
井上靖さんが描いているのが、本当に当時の雰囲気だったのか、それはわからないけれど、また院政だから、混乱は続いたというのか、2つ太陽があるというのか、みんなが後白河さんの所へご注進にいそしむような、みんながイヌっころのように法皇さまに気に入られるように、いいこぶることが続いたことでしょう。やはり、政権が2つあるというのはよくない気がします。
新しい時代が来る、という感じではないですね。
でも、院政はわるいことばかりではなくて、歌謡集やら、絵巻物がたくさん作られたり、文化的には楽しい時代であったのかもしれないです。
そうでした。この前の連休、奈良国立博物館で、信貴山縁起絵巻を見たんでした。私は面白かった。奥さんも楽しんでもらったもたいでしたが、体調がすぐれなくて、あちらこちら連れて行くことができませんでした。それはザンネンだけど、この停滞もまた夫婦のつながりの1つですから、これもOKということですなあ。