今、21時前です。雨が降っています。大阪の母にも夕方電話しました。やけに機嫌が良かった。昨日、お気に入りの甥っ子たちが来たからなんだろうか。
そりゃね、母にも、話しかけてくれる人が必要です。ボクも久しぶりに、もう6日ぶりに電話しました。
寒い? とか、母に訊かれたかな? 雨降ってる? だったかな。
ほう、降っとるよ。今から帰るよ! 今度、作ったマスク送るわ。
うん、おくれ! アベのマスクは、洗濯したら、小さくなってなあ。あれは、アカンわー。
そんなことを言ってましたっけ。郵便で母に送る算段をしなきゃいけません。母は、ゴム系はいっぱい持ってるから、それは自分で何とかするみたいです。ですから、マスク本体さえあれば、母の好きなようにアレンジするでしょう。母は、衣類の改造が生きがいみたいなものですから、いろいろと変てこなアレンジしますからね。
それなのに、政府が何百億って税金を使ったマスクは、洗濯したらすぐに縮んで使いものにならないなんて、税金の使い方、間違ってますね。前からそうだとは思ってたけど、もっとちゃんとしたものにお金かけなきゃ! あの人たち、無駄遣いに慣れてるから、何百億なんて、何とも思ってないんでしょう。困りました。
そして、何でも言われるままにポンと使うんですから。ボクの税金は、どうなったことか。
そんなことはどうでもいいことでした。
ボクは、なるべく自分で生きていけるように、これからの人生を見直すんでした。
とか、生意気なこと言ってるけど、年金が出るようになったら、何もしないんでしょ?
いえ、そうではありません。何もかも自給自足の生活をするんですよ。
ホントかな、また口先だけじゃないの?
(あれ、これは誰とボクの会話? ただの自問自答かな。自作自演ですね!)
今朝、しばらくクルマで走ってたら、「あ、マスク持ってくるの忘れた」と気づいたんです。それくらい、あたたかで、暑くもなくて、道路も空いてて、何だかお休みの日みたいな感じでした。ちゃんと月曜日なのに、世の中はまだ緊急事態が続いているようでした。
だったら、スイスイで走れたのかというと、何台も、何台も、遅い車に出会い、いつもより到着が遅れてしまった。理由が理解できなかったけれど、たぶん、そういうことだったのかな。
しばらく走ってたら、ガラガラという感じだし、ずっと混雑していうわけでもなかったのに、どういうわけか、前をふさがれて、モンモンとして走ってたんでした。
でも、気分は啄木くんみたいだったんですよ。なんていう歌だったかな。
花散れば
先づ人さきに白の服着て家出(い)づる
我にてありしか
彼らしい歌でしょ。実話かどうかは知りません。たまたまそういう日もあったのか、サクラの花が散って、春が来たと思ったら、重たい上着なんか着ないで、白の服着て家を飛び出したなんて! 白のコートという意味? 白のセーター? 白いシヤツ? まだ、寒すぎだよね。
また、ボクたちは余計な現実を彼にかぶせようとするけど、彼はそんなの跳ね飛ばしますよ!
白の服なんだよ! 形とか、種類はどうでもいいの。春が来たと思ったら、先取りしてみんなが重い服で体を守ってるヨロイみたいにしてるの、ボクは嫌いなんですよ。そういうスタイルはボクの生き方にはないのです。どんな服だっていいのです。いうなれば、もう服なんか着てなくてもいいのです。スッポンポンでは短歌にならないから、白い服をみんなに先駆けて着ている、というのを感じてもらいたいのです。
なんて、彼は言うんだろうか。言ってほしいなあ。
(なんか、最近ブログのキャラが変わった気がします。何か変です。本人としては変わってないつもりなんですけど、書き方が変わりましたね。)
そう、ボクも気分は啄木くんだったのです。昨日、やっと半そでを出して、今日、半そでシャツデビューだったんです。表紙の絵は、半そでから出てる腕が、ハンドルを握ってて、ソーラーパネルやら、新緑やら、そういう緑の中を駆け抜けてるイメージだったんですけど、何だか散漫な色づかいで、きちゃない絵になりました。
気分はさわやかだった。
でも、そんなのは長続きせず、お昼前から曇って来て、雨も降り続き、今夜はたくさん降るという話です。
どんなに気分を盛り上げたって、現実はドーンと顔を出します。才能があれば、たぶんボクには才能あるよ! と思ってる啄木くんなんですけど、なかなか作品がヒットしません。昨日も書きましたが、1ページめから、頭がクラクラするような、おもしろなさなのです! だから、彼は、評論書いたり、いろんな日記も書いたりしましたっけ。まさか、日記が岩波文庫で出たりするなんて、思ってたかな。ボクは全集の日記も2冊で400円で買いました。今となっては、1冊100円でもよかったのではないか、と思うくらいです。
さあ、彼は歌を作りますよ。
こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂(しと)げて死なむと思ふ
まさか、自分が26で死んじゃうとは思ってなかったと思うけど、それくらい命かけて文学に取り組んでたと思うけど、本当にそうなってしまった。
そんなことがありますから、ボクは、軽々に「死」という言葉を書くのも、使うのも、しゃべるのもしたくないんですけど、彼は若かったから、つい、書いてしまった。
思い切り仕事できた? やれたと思う? 満足はしてないでしょ。でも、自分の道は見つかったんじゃないの? そんなに命かけて文学書いたらダメだよ。
あとから、お節介は何とでも言えるけど、彼はまっしぐらに進んでいきました。
だから、小説や詩がイマイチでも、うちには彼の詩集も小説もあるんです。いつか読むだろうか。たぶん、読まないと思うけど、いつか誰かにあげようと思います。それまで持っておくことにします。
短歌だけ読んで、彼をしのぼうと思います。