甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

プロホレンコさんふたたび

2017年05月28日 07時16分08秒 | だいたい映画、ときどきテレビ

 「誓いの休暇」(兵士のバラード 1959)は、グレゴリー・チュフライ監督の映画でした。監督の作品は他にもいくつか作品はあるみたいだけど、残念ながら見ていません。

 この作品とは、ずっとNHKさんを通じてふれる機会がありました。若い頃に見たとき、たぶん80年代の頃、つまらない陰気な映画だなと思ったような気がします。

 いや、ちゃんと見たのだろうか。それさえあやしいです。とにかくつまらないという印象でした。けれども、忘れた頃にオンエアしてくれて、何回かふれるチャンスがあって、とても大事な映画になりました。

 たぶん2回目くらいに見たとき、ものすごく衝撃を受けたと思われます。



 そして昨日、VHSをSDカードに収録できる機械を買って、その収録第1号にこの作品を選び、ずっと見てしまった。

 あいかわらずの印象で、小さい画面を見ながら2回ほど泣けましたね(アホみたいだけど……)。

 シューラ(ブロホレンコさん)との別れの場面、これは悲しいなと思いました。表紙の写真は、てっきり淡々と別れて、駅でシューラがさびしく電車を待つ場面だとまちがえていましたが、昨日確認したら、そんなに淡々と別れたのではなくて、住所もおたがいの気持ちも確認できないまま、あわてて汽車に乗ったアリョーシカ(なんという俳優さんかな、名前が憶えられなかった)に、2人の関わりの接点もなくしたまま別れて、ションボリ駅を去る場面でした。

 そんなできすぎた別れがあるなんて、とは思うのだけれど、戦争の混乱した社会では、こうしたすれちがいが起こるのかもしれないし、アリョーシャが生還できたとしても、2度とシューラには会えないだろうと思われ、人生とは一期一会というけれど、そういう時ってたくさんあるのだから、会えなくても、せめて連絡だけでもとられたら、どれだけいいことなのかと思いました。

 私に、会えないけど、連絡を取りたい人ってあるかな? 

 そりゃ、たくさんいますね。たくさんたくさんいますね。でも、もうどこかでしっかり生きておられるのだと思えば、まあ慰められるかな。連絡が取れたって、たいしたことはできないのだから、健在であれば、それで何もできない私としては満足しなくてはいけない。

 シューラさんは、心通わせることのできたアリョーシャと離ればなれになった。彼がふたたび戦場に行くのは聞いている。帰ってくるかもしれないし、帰ってこないかもしれない。彼の実家の方はたぶん聞いていると思われますが、わざわざそこを訪ねるようなことはないでしょう。ただの行きずりの出会いだった。でも、2人は映画の中では真面目に心を通わせていた。

 私は、そうした2人の姿に心打たれ、2人が2度と会えない別れをしてしまったことが悲しかった。



★ それでも、ほんの一瞬でいいから、心通わせることができた人がいたら、その思い出を抱えて生きて行けそうな気がします。甘いのかな。甘いな。でも、甘くていいです。

 せいぜい甘く生きていこう!(2018.5.29)



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2 コメント

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懐かしい題名 (ツカヤス)
2017-05-28 20:35:49
突然、お邪魔します。
私が読者登録させて頂いている方から、「誓いの休暇」についての記事がありますよ、と私の記事にコメントがありました。
そのようなこともあって拝読させて頂きました。
正直に言って、懐かしい題名でした。
「誓いの休暇」と言えば、シューラの顔立ちが自然と瞼に浮かんでしまいます。
あのアリョーシャは、その後どうなってしまったのか、そういう思いとともに戦争の悲惨さにショックを受けた映画との印象を持っています。
記事を拝読し、久し振りにこの映画を再確認したいと思い、古いベータ版のビデオを再生してみたところ、題名は「誓いの休暇」なのに、内容が他の作品に置き換わってしまっていました。
非常にショックでした。
たぶん、レンタルDVDでも置いてないでしょうし。
それでも、この作品は私にとって、非常に重要な作品となっています。
そのようなことを思い起こさせて頂き、只々、感謝しています。
ありがとうございました。
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ホントにすみません (甘い生活)
2017-05-28 21:13:03
ホントに、コメントをいただいてありがとうございます。

SDカードに収録したと思って見返しましたが、なんとファイルがありませんでした。

まだまだ機械の使い方を勉強しなくてはいけません。DVDは1万円くらいするし、私みたいな貧乏人にはとても手の届くものではありません。

せいぜい使い方を勉強しなくては!

私は、シューラさんとの別れにときめいていたのは昔からですけど、オッチャンになったので、母との別れの方が悲しくなりました。年ですねえ。
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