昨日、いろいろとやりたいことがありました。
① 関西線の久宝寺からおおさか東線に乗り換え、俊徳道というところまで出て、そこから近鉄で三重まで帰る。
② おおさか東線を放出(はなてん)まで乗り、そこから学研都市線(昔の片町線)に乗り、四条畷の手前の野崎で下りて、東海林太郎の歌でおなじみの野崎観音にお参りして、そのあと三重県に帰る。
③ 関西線で法隆寺駅まで乗り、拝観料が高くなったという法隆寺に行くという案。
あれこれ考えましたが、来た電車に飛び乗るのを大事にしていますので、おおさか東線の車両に乗り込みましたが、それも何だかつまらないなあ。とりあえず奈良県をブラブラしたいな。今はJRだけど、柏原のあたりで近鉄に連絡している線はないか。柏原まで行くか。
五位堂というのは近鉄の大きな車両基地があるけど、そこに行ったらそれが見られるだろうか。つまらないことをあれこれ考えながら、たまたま高田(大和高田のことで、ここから和歌山線に分岐しています)行きの快速が来たので、大阪をフラフラするのはもうやめて、奈良をめざしました。
高田駅では、中学生やら、若い女性やら、たくさんのお客さんがホームで次の電車を待っていました。みんなどこへ行くというんだろう。
奈良県の中心に行くには、この電車は時間がかかりすぎるし、近鉄の方が早いでしょう。それに、奈良県を南北に移動しようとしたら、JRは時間とお金がかかりすぎるし、大回りで不便なのです。
わからないまま、高田から奈良行きの電車に乗って、ひとつ目、たくさんの若者たちがみんな降りていきました。
南の方に巨大なショッピングモールが見えたので、みんなあちらをめざして、この電車に乗ってきたようでした。若い人たちはそういうところが好きらしい。
私は、次の畝傍駅で下りました。
駅は無人。お客は何人降りたでしょう。十人くらいだったかな。みんなどこかへ消えてしまいます。
私は、西の方に見えた今井町に行くか、それともどこか知らない町を歩くかでした。最終的には近鉄の大和八木まで行き、そこから三重県に帰る気分になっていました。
いつそうなったんだろう。
とにかく、近鉄に着かず離れずでいたかった。たまたま来た電車に乗り、大和高田まで来た。近鉄の駅は見えたけれど、あまり魅力的な街はなさそうだった。
だったら、藤原京も近いし、名門の畝傍高校も近くにあるし、どこかに古い町並みがあるかもしれないと、畝傍まで来た。
駅を出たら(出口は北側に開かれていた)、線路を南にわたると、古い町並みとおふさ観音があります。それまでの道を「長寿の道」です、という看板が見つかりました。
よろしい、だったら、その観音さんのところへ行こう。古い町並みもあるのだろう、という気分になったんですね。
町のとっかかりはこんな感じです。ずっと南に通りは続いています。どこまであるんだろう。昔おみせだったところがいくか……、それらはすべて閉まっていて、営業しているお店などなかった。
古い看板も、もうびっくりする古さです。
どんどん突き進むと、とうとう飛鳥の方から流れている飛鳥川まで来ました。川沿いの家は古風でした。
もう南はいいから、とりあえず東のおふさ観音を見てみましょう。
境内の空いているスペースはすべてバラの鉢植えで埋め尽くされ、広がろうとすることを一切拒否した、サッとお祈りしたら、さっさと出ていけ、バラに興味のない人間は用なしだ、という感じの境内です。
私は、とりあえずお祈りはして、たまたまの出会いを感謝し、もう歩き疲れて、今度は北側の近鉄・大和八木まで歩くことになりました。
自分ではあれこれしたつもりでしたが、イマイチつっこみが不足で、同じ通りを南に下がり、帰りは北に上がっただけでした。残念でしたね。