先生のお弟子さんたち、いろんな人がいたでしょうね。
子貢さんは孔子さんより三十くらい年下で、この質問がいつ頃なされたんでしょう。孔子先生が七十としたら四十くらい、六十だったら三十くらいになります。たぶん、三十から四十くらいのバリバリの時のことです。自分より一回り若い人たちのことを訊ねてみました。
子夏さん(師)は衛出身で孔子さんより四十四年下、子張さん(商)は陳出身で四十八年下です。の同世代の人です。子張さんはちょっと生意気なところがあったようで、それが問題だったのかもしれません。
34【過ぎたるは猶(なお)( )ばざるがごとし】……何事も程度を越すことは、足らないのと同じようによくないということ。ほどほどがよいという教え。〈先進〉
★オマケ 四書には、『大学』『論語』『孟子』とありますが、あと一つ「一方にかたよらず、穏当なこと」という意味の書名は何ですか?
子貢さんが孔子先生に質問します。「先生、師(子張)と商(子夏)の二人だったら、どちらが優れていると言えますか?
「師はやりすぎているし、商は及ばないのだよ」
「先生、ということは、師の方が優れているということですか。ちゃんとやっているという事実がありますからね。やはり、積み重ねが大事ですもんね。」
「いや、やりすぎというのは、足りないということと同じようなものなんだよ。」
ああ、先生に言われてしまった。これはとても有名なお言葉ですね。足りない、やれていないというここと、やり過ぎはそんなに違いはなくて、同じようなものだったんだ。
だったら、しない方がいいのかな。
いや、私なんか、せいぜいやった者勝ち、やればやるだけ経験できるという、やったことを評価したい方なんですけど、実は物足りないのとそんなに価値としては変わらないなんて、先生、何だか納得できないんですけど……。
もっと教えてくれ、とことん知りたい。その奥義を伝えてくれ!
私たちの欲望は際限がないと思われます。
それをあえて途中のほどよいところで切り上げる、これはとても難しいことで、現代の価値観でいくと、ダメなことです。
それを承知で、これが丁度だとストップさせる。ムズカシイ判断が要求されます。
それができないこと、これも現代人のカベなんでしょう。気を付けたいです。
★答え 34・及(およ)ばざる 書名・中庸(ちゅうよう)