村上春樹さんがお父さんのことを書いた本、『猫を棄てる』の中で、私が最初にメモしておかなきゃと思ったのは、フランスの映画監督のトリュフォーさんのことでした。
なんと32ページにその引用したところがあるから、すぐに「これは」と思ったみたいです。トリュフォーさんも、一時期は見たんですけど、何だかもの足りない印象でした。
でも、最後の作品『日曜日まで待てない』という題名だったでしょうか。モノクロの映画で、最後の恋人のファニー・アルダンさんが主役でした。録画もしたし、たぶん、DVDもあると思うんですけど、ちゃんと見ていません。映画館でも予告編とか見たんだろうか、何か気になったのに、見ていないです。
近ごろ、ようやく気付いたことがあるんですけど、「いつか見よう」というのはいつまでも見ない、ということと同じだということです。たぶん、このままだとずっとあと何十年も見ないでしょう。ボクにはそんなに何十年も自由な時間があるわけはないから(あるとうれしいんだけど)、これはと思った時には、すぐに見ないといけないのだと思います。
でも、そのDVDがどこにあるか、少し埋もれているから、なかなか見られないですね。でも、近いうち、見ようと思います。奮発してブルーレイをアマゾンで買ったら、それこそ絶対に見ないと思われます。所有してしまったら、いつでも見られるという気になってしまうんです。いつまでも見たい、見られない、悔しい、という気持ちを積み重ねないと、グータラの私は、目覚めないと思います。
いつか見ます! NHK-BSも、たぶんやらないでしょうね。もう、いいです。自分で何とかします!
その、トリュフォー監督、実は、1977年まで、いや、1978だったか、その年まで私は全く知りませんでした。なんということでしょう。だから、ヌーヴェル・ヴァーグも知らなかった。ゴダールも、他には誰がいたんだろう。アンリ・ヴェルヌイユさんでしたっけ? ベルトラン・タベルニエさんはもっと後からでしたっけ? フランス映画なんて、ジャン・ポール・ベルモントも知らないし、ジャン・ギャバンも知らなかったかも。とにかく、何にも知らない私でした。
スピルバーグさんの『未知との遭遇』という映画で、研究者として登場するトリュフオーさんに出会い、映画も作っていると知ったんでした。
その後も、ちゃんとトリュフォーさんに出会ったのは何という作品だったのか?
『終電車』は話題になったし、カトリーヌ・ドヌーブさんも嫌いではないと思って見たから、見たんですけど、今さらながら、ドヌーブさんは、そんなに魅力的な女優さんではなかったけれど、とりあえずキャリアだけは長いんだ、フランスの山本富士子さんみたいなものかも、というのが分かってきたところで、何もかも、知らない私が、今さらながら、あれこれ知るという日々です。
もう、引用してみます。
フランスの映画監督、フランソワ・トリュフォーの伝記を読んだとき、トリュフォーもまた幼少の頃に両親から離され(ほとんど邪魔なものとして放棄され)、よそに引き取られた経験があることを知った。
そしてトリュフォーは生涯、「棄てられる」というひとつのモチーフを、作品を通して追求し続けることになった。人には、おそらく誰にも多かれ少なかれ、忘れることのできない、そしてその実態を言葉でうまく人に伝えることのできない重い体験があり、それを十全に語りきることのできないまま生きて、そして死んでいくものなのだろう。……村上春樹『猫を棄てる』2020文藝春秋 P32
と、春樹さんに教えてもらうと、この2020年の今、やたらめったら、トリュフォーさんの映画を見たい、という気になるのに、肝心の映画は見られないのです。
youtubeにもあるのかもしれないけど、もういいです。自力で何とかします。トリュフォーさんの作品、いつか、必死になって見返してみたいです。
そして、前々から、モヤッとした感想は持ってたけれど、もう一度、それらを確かめたいです。
私みたいなボンクラ野郎が、いくら作品を見ても、何にも感じないかもしれないけど、でも、素直な心で、何十年ぶりにトリュフォーさんを見て、どんな感じになるのか、そういうのを味わいたいと思いました。
まさに、春樹さんのおかけです。人に教えられないと、何にも見つけられない私ですもんね。まあ、仕方がないかな。