仏作って魂入れず、道路作って人々暮らせず、ものすごい補正予算を立てて国民は増税を引き受ける、など、体裁だけ整えて中身がカラッポということは、私たちのまわりにたくさんあります。今の世の中は、ぱっと見はとてもいいのです。でも、中身は空洞化している。
万博だって、ものすごい建築家のものすごい建物を作るという話がありますが、会期が終わればすべて更地に戻します。みんな増税を覚悟で万博へ突入しようとしている。阪神とオリックスの優勝パレードに酔った人々も、やがては恐ろしい現実を突きつけられるでしょう。その時には今の責任者たちは、どこかへ遁走しているかもしれない。ものすごい責任感です。たっぷり本人は潤っただろうから、あの人たちは何も傷つかないでしょう。今からでも遅くないから、「中止にする」なんて、絶対にできないね。もう、沈没するところまで突き進むしかないようです。
さて、親孝行ですけど、24時間いつでも安心の施設に入れて、都合のいい時に会いに行き、あとは知らない。なんていうのはやりたくないのです。でも、私自身、ちゃんとホンワリとした親孝行ができるのかどうか、これは問われています。できるんだろうか? 孔子さんのことばがあります。
50【今の孝は是れ能く養う】……子游が孝について質問し、よく親を養えばよいということのようだ。
それらしくちゃんと面倒を見ている、ということ、それも親孝行だと思います。それでいいんじゃないの? と思うけど、そんなの孔子さんに見透かされています。
子游よ、犬や馬でも、飼う以上は人は犬や馬をよく養っているではないか。家畜を死なせないように人は養っている。ただお世話するだけというのなら、それは家畜を養うことと変わりがないのですよ。
(弟子)先生、でしたら、親に孝行するというのは、親の面倒を見る以外のことがあるんですか?
面倒を見ていたとしても、親を尊敬する心がなかったら、なんで親と犬馬を養うこととの区別ができないではないですか? つまり、親に対して愛敬の心を持って尊ぶことが大切で、よく養うだけでは親不孝ともなるのですよ。いつもの通りに言うのは簡単だけれども、中身が伴うこと、心がそこにあること、それがどれだけできるかなのです。〈為政〉
(私)先生、私は、たいてい心がそこになくて、浮ついた付き合いしかできていない気がします。そこに親がいたとして、どれだけ心を開いて、どれだけ心を傾けているのかというと、自信がありません。何だか落ち着いて向き合えていない気がします。そこが私のダメなところで、いつも、いろんなことにおいて、心ここにあらず、ということが多いです。どうしたらいいんでしょう。
(先生)それは、いっぺんにできることではなくて、気持ちのゆとりを持って、ゆったり向き合えばいいのだと思いますよ。そういうことさえできないのが私たちの日常なんですから。
(私)ありがとうございます。明日からでも実践してみます。
51【三年父の道を改むる無し】……父のやってきたことは、善悪の見方はいろいろあっても、せめて喪中の三年ぐらいは、その家風や、父のやり方を、改めるに忍びないのが、親孝行というものだ。〈里仁〉
三年とは当時の子の父に対する服喪期間で、実質は二十五か月で足かけ三年のこと。
あれ、これは今も同じ気がします。一周忌(亡くなってから二年目に入る)、三回忌(亡くなってから三年目、実質は亡くなって二年経過)、七回忌(亡くなってから六年目に行う法事)という風に、二年と一日でやっと喪が明けたりするんでした。
それくらいずっとお父さんがされたことを守って行い続けるって、大事です。孔子先生ですから、それくらいは当たり前だし、しっかりと服喪期間を過ごすことを大切にされていました。それくらい守り続けたら、新しいことをしてもいい、というか、子どもとしていかにしていくか、道が見つかるはずです。