どんなにつまらない時間を過ごした後も、私たちは「いや、役に立った」「ためになった」とコメントする癖がついてしまいました。
世の中は、どこもかしこもお客さん第一主義です。
だから、「今のはおもしろかったですか? いかがでしたか? 何かご不満はありますか?」と、お客さんのご機嫌を気にするようになりました。
お客さんは文句タラタラではなくなって、「うん、よかったよ」「ああ、おもしろかった」とコメントする癖がつきました。または「まあまあだったな」と言うくらいです。
非難したり、けなしたり、叱ったりすることは控えるようになりました。どうしてって? それはリスクを避けるためです。
何かに関して、意見を述べたり、反論したり、隠されてた事実を明るみに出すことはものすごく勇気が必要になりました。みんな、何ごとも問題がないように、波が起こらないように、誰かが矢面に立たないように、問題なく生きて行けるように、そういうことが大事な社会になっています。
問題のある人がいて、「ヤバイ」ことをしていたとして、それを非難する場合、ちゃんと証拠をとって責任者のところへ密告しに行くとして、責任者はその事実をどうするのかというと、とりあえず注意してみて、それで収まるようであれば、それでそのまま流していくということがあります。
その一つの事実でその人が責任を問われることはありません。そして、またこっそりとバレないように、新たな方法・手段で巧妙に新たな問題を積み重ねていく、そういう社会になっているようです。
一つや二つ、多少のミスは許される。それは有り難いのだけれど、そういうことで結局「ヤバイ」人は、心から悔い改めるということはありません。細々と「ヤバイ」ことをしていく。
何だか今の日本社会は、そんな風になっている気がします。もともと責任はあまり問われず、一時の謝罪と慰謝料と改まった姿勢と、そういうのを見せたら、すぐに忘れてしまう、割とのん気な社会でした。
だから、よそから過去の責任・犯罪の謝罪を問われても、「どうして今さらそんなことを持ち出すんだよ。そういうことはとっくの昔に終わった。話はついているんだよ」という態度と言葉が先に出ます。どうして向こうがそういうことを持ち出すのか、その真意をはかろうとはしない。
よその社会には、その社会でのルールと雰囲気があります。その社会から出された言葉には、そのルールと雰囲気に対して配慮する必要がある。そのために外務省やら海外特派員がいて、現地の事情を知るために必死になってもらっている。
現地の言葉よりも、現地でどんな風に自分たちの商売をしていくのか、経済優先で人とのつながりを軽視すること、そういうのがあったのかなかったのか、いや、経済さえも考えず、現地にいる日本人が安心して暮らせる、そのためだけに派遣されてる人がいるのだとしたら、私たちは、何か間違ってたのだなという気持ちにもなります。
国内では、意見を言うこと、人と違う考えを持つこと、何かに対して批判的になること、批判的な気持ちをどこかでアピールすること、政府の行動に文句があること、それらに対して「何を言ってるんだ」「お前は、みんなの気持ちがわからないのか」「今は、個人のわがままなんて許されない時代なんだよ」「みんなと同じように大人しくしていなくてはならないんだよ」という声なき大声が押し寄せてきます。きっとものすごいプレッシャーだと思います。意見を言うことは孤独になるということでもあります。
そんなプレッシャーはどこにも見えてないのだから、怖がらずに、「イヤだ」「それに対しては反対だ」なんていうのをみんなで共有して、議論し合う必要があるはずです。
でも、議論している時間はないようです。「イヤとは言わせない。みんな忙しいんだから。」「決まったことには従ってもらわないと困る。」という反応は、あちらこちらにあるはずです。
え、誰が決めたの?
それはすでに書面などで共通理解を得られたはずだ。証拠書類もあるはずだろう。あの膨大で事細かに書いてある束を見ればわかるだろう。そういう風になっているようです。
みんなで議論しなきゃならない問題は、実はたくさんあるはずなんですよ。人口減少の問題をどうするのか。そうなると、外国人の移民の問題も本格的に考えてもいいのではないか。エネルギー問題。原子力発電所の再稼働の問題。原発は問答無用・経済優先で再稼働されることになっていましたっけ。政府がお墨付きを与えているというか、政府主導で行っていることでしたね。文句のつけようがないんでした。
他には、日銀の金利の問題。日銀のエラい方たちにお任せして、インフレはちゃんと実現できました。ただ、給料は上がらず、人々の給与水準は60~70年代に逆戻り? 日本の経済はどうなるの? 日本はもの作りしないの? 与党とカルト集団の問題、今さらながら話題になっているけれど、それはもう30年ほど問題にはなっていたそうじゃないですか。でも、誰も触れることができず、議論もされなかった。そして、やむにやまれず暴発したら、その人本人の問題であると処理されて、またもとの無責任社会に逆戻りです。
みんな、リスクは怖いのです。だから、大人しく、ネットでつぶやいてるだけだし、生意気な意見を言う人がいれば、みんなで袋だたきをするだけです。
みんな我慢しているんだから、お前も我慢しろ、という理屈です。
息苦しくなってきました。オッサンは、ダラダラとこの社会を眺めるだけで済みますが、若い人はこの渦中にいます。みんなしんどい思いに真面目に向き合い、クタクタになっている気がします。
せめて、つまらない時間は避けるようにしましょう。とはいえ、三連休はずっと雨です。もどり梅雨で、しかも第7波の真っただ中。家でネットするしか私たちに許されることはないんでしょうか。本読んだらいいかな。
そうです。みなさん「いい人」にはならないようにしましょう! 「いい人」に近づかないようにしましょう。クセのある人、ワガママな人、頑固な人、言うことを聞かない人、そういう人がのびのび穏やかに過ごせる社会を作らなくちゃ。私は、そういう人と一緒にありたいです。