1976年の「キングコング」は好きな映画でした。弟と一緒に見に行きました。
彼女がいたら、彼女と行ったでしょうか? たぶん、行かない方がよかったと思うな。1984年に沢口靖子ちゃんが出ていた「ゴジラ」を彼女と吉祥寺で見ましたけど、ものすごく味気なかったのを憶えています。
どんな彼女だって、怪獣映画は一緒に見ちゃダメだと思う。まあ、もう彼女と見に行くなんて、そういうことはなくなったから、映画も旅も本屋も、どれもひとりで行けばいいんだと思う。それくらい偏屈になってるし、あんまり人と協調しながら何かをするって、無理なのかもしれない。
いや、そうじゃなくて、ひとりの趣味の世界に行くには、ひとりがいい、ということなんだろうな。たくさんの人とチームになってやらなきゃいけないことは、まだまだ私にもあるはずです。どんなことができるのか、それは私次第だし、自分を出しつつみんなとうまくやっていくのも、それは大人なんだから、やっていかなきゃいけない。
具体的には、何をするんだろう? それがあまり見えなくて、ただ闇雲に「連帯だ」「人とうまくやるには?」「人のいいところを出せるようにするには?」と、柄にもないことを考えてしまいますよ。
できるだけやりたいんだけどな。
70年代は、日本も外国も、映画のネタみたいなのが見つからない時代だったでしようね。何もかもが出尽くして、しばらく低迷していた。子どもたちを魅了したゴジラ映画は、その前半で燃え尽きていました。仮面ライダーはずっと頑張ってたと思うけれど、映画が作られたというのは知らないな。
ハリウッドも、ずっと低迷してなかったかな? そして、1975年に、やっとアメリカのヴェトナム介入が終わり、アメリカは戦争から自由になれた。そうしたら、「スターウォーズ」とか、「未知との遭遇」とか、新しい才能が自由に作品作りをできるようになり、スピルバーグさんや、G・ルーカスさんやその仲間たちが作り出す作品世界が押し寄せることになりました。
70年代の終わりは、そうした新しい時代を少しずつ生み出していたのでした。そして、ジョン・ギラーミンというパニック映画で有名になった監督さんが、この「キングコング」を作り上げた。
作品は、1933年頃のストップモーション(人形さんをこまどりする作品)と同じストーリー展開で、最後はコングは、攻撃ヘリで世界貿易センターの上でハチの巣にされ、そのまま転落して死んでしまう、そういう残酷な終わりになりました。
だから、私たちは物語は知っていたのです。何も新しいものはなかった。でも、何とも言えないゆったりした雰囲気で、私はあの流れは好きでした。それなりにヒットはしただろうけど、後々の「スター・ウォーズ」みたいなフィーバーにはならなかったですね。
1976年版は、当時の空気感を味わう映画だったのかもしれない。みんな何かに着かれていたんです。私はまだ若いから、同時期の「ロッキー」の方に影響された部分もあったけれど、でも、「ロッキー」は憧れるけど、あんなになれなかった。私は、いつまでたってももたもたしたヤツで、とても愛する人の名をみんなの前で呼び、抱きしめるなんて、できない人でした。
それは今も同じですね。家でコッソリはできるけど、みんなの前でおおっぴらに宣言したりはできないな。私は、キングコングのはかなさの方に憧れたんです。軍の攻撃ヘリに襲われるのはイヤだけど、好きなもの、場違いなところでも、自分らしさを求めていきたかった。
今は、そんなに気張らなくてもいいね。自分のペースで生きていこう。「キングコング」は、これからも引っ張り出される可能性はあるけど、もう昔みたいな巨大な手なんかいらないね。そう、そんな作り物もいらない。自然なCGみたいなのができて、それで人々をビックリさせるでしょう。
でも、これからの人たちは「キングコング」を求めるのか、それがわかりません。そして、コングが亡くなったWTCは、それから25年後には消滅するんですから、もうこれ以上キングコングをニューヨークに連れてこないでほしいんです。まあ、ゴジラはまた行くんでしょうか。ゴジラは、武器を持ってるから、軍に対抗できますもんね。