何か月か前の新聞が読まないで家の隅にありました。読んでみたら、大好きな椎茸と、まあまあ好きな昆布のことが書いてありました。
書いてる人は、中沢けいさんという人で、小説家です。ヒット作は特になくて、今でもかろうじて文庫に残っているみたいだけど、彼女がいなくなったら、すぐに消え去ってしまうでしょう。
もう四十年以上のキャリアがあるのに、これといったヒット作がないなんて、なんかつらいけど、お仕事は大学の先生なので、決まった収入は入って来るし、学生たちに何かアドバイスしてたら、それで生活できるんですよね。
とはいうものの、彼女としては、何か突き抜けたものを書きたいだろうに、デビュー作のころをずっと引きずっているのかもしれないです。
幸か不幸か、私は彼女の作品を読んだことがないので、同年配の彼女も、何かヒントはないか、あれこれ模索してるんだろうなと思って、書き写してみました。彼女は昆布で豚肉をまいたのを煮込む琉球料理みたいなのが好きなのだそうです。だから、昆布なんですね。
ちなみに、うちの母親は、デパートの「北海道展」が好きで、そちらに出かけると、昆布を何袋も買って、「兄ちゃん、たくさんこうた(買った)から、オマケして!」とかなんとか、デパートでも言ってますけど、兄ちゃんはまけてはくれないけど、オマケくれたりするのかな。
そうでした。昆布でしたね。
琉球料理は昆布を使ったものが多い。でも、なんで琉球で昆布を使うのかしら? と疑問を感じたとたんに、大阪土産が昆布なのはなんで? という疑問も一緒に湧いて来たのはいつの頃だったか?
蝦夷地で採れた昆布が、日本海を南下する舩に積まれ、若狭で陸揚げされ、山を越えて琵琶湖へ出る。琵琶湖から宇治川、淀川と下り大阪に昆布が運ばれる。後には下関から瀬戸内海を経由して大阪に運び込まれたそうだ。薩摩藩が昆布を買い込み、琉球へ運び、琉球から中国へと昆布が輸出された。琉球で豚肉が好んで食べられるようになったのは十八世紀のことで、昆布を食べ始めた頃と同時期だとか。昆布はずいぶんと長い旅をしたものだ。昆布の長い旅がなければ、豚の脂と昆布の相性ぴったりという発見もなかったかもしれない。 (中沢けい 2020.6.13 土曜 朝日新聞)
これは彼女が調べたのを、そのまま原稿に使ったんですね。まあ、調べたなあとは思うけれど、あまり彼女が足で調べた情報ではなくて、どこかの本からのパクリか、ネットか、あまり大学の先生としてはどうかな、というところです。
昆布が長い旅をしたのは知っています。みんなが昆布に憧れ、その憧れに北海道は答えてきました。もう百年以上答えているでしょう。
だから、そこから、どんな広がりがあるのとか、つい訊きたくなりますね。まあ、私なんて、何にも知らんオッサンなんですから、彼女の方が偉いのです。
でも、そこから何か違う平面を教えてもらいたかった。敦賀と昆布、大坂と昆布、九州と昆布、いろんな世界を見せてもらいたかった。
それは、私の課題にします。彼女は忙しいから、とにかくタネを教えてくれたんですね。いつか、そういう昆布で日本を見てきたいです。
羅臼を訪ねたのは、1989年でした。知床半島だって友だちに案内してもらった。遠い昔です。
それから、どれだけ私は、昆布でも、カニでも、ホタテでも、研究できたでしょう。まるで研究できてないし、あれから、道東にも行かせてもらっていない。いつか、昆布のふるさとも行かせてもらわなくちゃ!