★ 画像の二つとも借り物です。申し訳ありません。
ボクと弟は親戚の家でヒマを持て余していました。どこに行く当てもなく、お金もそんなになくて、従兄の人たちがどこかへ連れてってやろう、というのを待ち続けていました。そういう主体性のなさが自分でも嫌になってたんだと思います。
小さい子どもなら、虫取りとか、海に遊びに行くとか、そんなことをしたでしょう。でも、ボクたちはそれなりの年齢でした。私は二十歳、弟は高二でした。弟はヤンチャで、タバコは吸うし、パチコンはするし、友だちとバイクに乗ったり、暴れまくっていました。そんな活発な彼が、どういうわけかショボくれた兄と一緒にわざわざカゴシマの旅について来ました。
彼には、親戚からチヤホヤされた記憶があったし、親戚の兄ちゃんたちも、彼とならどこでも遊びに行けたのだと思います。でも、今回は私と二人旅で、何だか重くて小柄な私には、相手にするのが面倒だったと思われます。
私も、できたら、好きなところに行きたかった。とはいっても、私の行きたいところは、特にありませんでした。強いて言うならば、私は電車に乗りたかった。でも、薩摩半島の南の指宿の親戚のお家ですから、あまりホイホイと電車に乗れるわけではありませんでした。
でも、私には、強い味方の時刻表がありました。これを開けば、日本のあらゆるところに行けるはずでした。親戚の兄ちゃんたちは、そんなものよりも、自分の足と自分のクルマで、行きたいところには行きたいときに、もっと季節のいい時に行っていたことでしょう。
私たちは、とても外を出歩けないような、強い日差しのカゴシマで、親戚のお家に幽閉状態でした。行きたいところは特にない。お金もそんなにあるわけではない。電車もなくて、ディーゼルの指宿枕崎線があるだけです。でも、どれくらいの頻度で走ってたんだろう。走っているのは確かだけど、そんなに本数があるわけがありませんでした。
でも、私たちは、どこかに行きたい気持ちをためていて、とうとうこの指宿枕崎線で、とりあえず、枕崎というところまで行ってみようとしました。
枕崎の町を歩いたかどうか、あまり記憶はありません。とにかく、そこから鹿児島交通という私鉄に乗って、さつま湖まで行って、そこから吹上浜の海水浴場まで行くことにしてたんです。
そう、親戚のオバチャンには何も言わないで、二人は行方をくらましました。どうしてそんな世間離れしたことをしたのか、そうしないと、また、毎日同じように無為に過ごしてしまうと思ったからなんだろうけど、親戚のオバチャンはビックリしたでしょうね。こんなことを考えるのは、あのブスッとしたお兄ちゃんの方で、弟は愛想がいいし、そんな何のことわりも入れずにどこかへ行くなんていうことはしないだろう、みんなそう思ったことでしょう。
ボクは、いくつになっても、まわりの皆さんから何となく危なっかしい、何を考えてんだか分からない、あぶないキャラでした。だから、地元の国立大学を受けたけれど、実はアホだから、やはり落ちたのだ、みんなそう思ってたでしょう。
ホントに、アホで、何をするのかわからないのが、私の専売特許だったのです。
ああ、日本の南の果ての駅まで来てしまった。国鉄はここで終わりだけれど、何とここから国鉄をフォローするように、薩摩半島の西側を北上する鹿児島交通の鉄道が走っていました。そんなのは時刻表を見たらわかるし、何時に出るとかもわかったでしょう。
そして、予定通りにさつま湖駅までたどり着きました。吹上浜には、その何年か前に親戚のお兄ちゃんに、うちの家族全員を連れてきてもらって、こんな不思議な浜がずっと南北に広がり、底なしの東シナ海が目の前に広がり、何だか怖いくらいのきれいな浜であるというのは知っていたんです。
その浜で、兄弟二人海水浴をしよう、そのためにはるばる指宿から鉄道を乗り継いでやってきた。さあ、いよいよだ。
とは思っていました。海には西側に歩いて行けばたどり着けるだろう、それくらいのいい加減な見当です。地図なんて、ちゃんと見てないし、駅の回りにあったのかどうか。
夏の平日、お盆前、海岸まで松林を抜けたらたどり着けるはずだ。ちゃんとした道はわからないけれど、とにかく行けそうなところに行ってしまえ。
そして、ボクたちは、松林の中で道を失っていました。東西南北もわからないし、どこから来たかもわからなくなりました。ボクはうろたえていました。どうして、こんなところを歩いているんだろう。ボクたちは、海に行きたいのではなかったか。でも、その海はどこだ。
人の声もしない。クルマの音もしない。どれくらい暑かったか、もう忘れました。風は吹いてたのかどうか。どこまで行ってもずっと松林の中でした。
たぶん、弟が冷静に道を探して、突き進んでくれたのだと思われます。どこでも行ってしまえ、海なんてすぐそこだ、という景気の良さは吹き飛んでいました。そして、松林の苦闘は小一時間あって、どこかに道らしいものを見つけて、どうにか海にたどり着けたと思います。
海では、背中の皮がめくれるくらい日焼けをいっぺんにしたので、それなりに水には浸かったと思います。でも、海にたどり着くまでにボクの心は溺れていたので、あまり元気はなく、ただチャポチャポしただけでしょう。
そもそもボクは、そんなに泳げるわけではないし、不能者からほんの少しだけ抜け出た程度で、足がつかないと、それだけで目の前真っ暗になったはずです。あの不安感は、底なしでしたよ。ほんの少し下には足がつくところがあったとしても、水の中で目を開けられないボクには、それはもうムダな話でした。ああ、今から40年も昔、私はとりあえず、鉄道には乗りました。でも、松林で遭難した。
後から、あそこで死んでたら、大変なことになったなと、兄弟で何度も話したものでした。もう死にそうなくらい、自分たちの行く道がわからなかった。
どうにか、40年、無事で生きてるけど、怖い経験でした。ただ、ボクがアホで、やみくもに突き進んで、道がわからなくなっただけなんですけど。