昔のメモから取り出してきました。もう使ってるかもしれませんけど、改めて読み直すことにしました。
もちろん、私が引っかかったところだから、どうして人は生きているのか、みたいな、人生の根幹にかかわることでした。特に、これからどんな風に生きるのかというテーマもありました。年を取るということ、ずっと考えていますが、何も答えは出ていません。ただジタバタしているだけです。いや、ジタバタもそんなにしていないかも……。
たぶん、お医者さんの資格を持っておられた南條範夫さんが、こんなことを書いておられたので、年を取ることのメモをさせてもらいました。
生まれてから十年、十五年くらいは、気力も智力も体力もすべて、年々急速に増加していたのだ。六十を超えてからは逆に、そのすべてが衰えてくるのは当然の現象で何の不思議もない。すべてそういうものだと、はっきり認めればよいこと、それをボケたなどと言って、自らおとしめたりがっかりする必要など、全くない。
こんな風にバサリと言ってしまえるには、よほどの気構えが要りますし、自分のやってることに信念をもって、堂々と生きてなくては、とてもそんなことが言えない。いつも、これでいいのかハラハラしているようでは、表面を取り繕うことが多いでしょう。
顔にシミができ、シワがより、色つやが悪くなり、髪の毛が白くなり、あるいは禿げてくる。人によって多少の差はあっても、こうした、いわゆる老いの現象が現れてきても、それは幼児が少年になり青年になり中年になってゆくのと同じことで、ただそれが逆行過程をたどってゆくだけのことである。慌てても、がっかりしても仕方のないことだろう。
そんなことは気にしないで、言いたいことを言い、したいことをして、堂々と生きてゆけばいいのだ。
2004年に文庫本が出ていますので、たぶん、本屋さんで買ったと思うんだけど、わりと気に入った内容でした。
少し最近は忘れていますね。もう、堂々と自分のオッチャン道を進み、人から何を言われようがやりたいことをやり尽くしたいです。
でも、近所の散歩をしようと思っても、ヒザが痛くて、思うようにできないし、何だかもどかしいです。
若い時から、毎晩床につくと、今夜はどんな夢をみることかと期待した。時には、こんな夢をみたいと思って、その通りの夢をみることもあったし、全く反対の夢をみて、がっかりしたこともある。いずれにしてもほとんど毎晩夢を見た。昼間でもぼんやりしているといつの間にか白昼夢に引きずり込まれていた。
夢ですか、私は最近は夢も断片的で、しかも折角憶えてた内容を話しても、うちの奥さんたら、「ひとの夢見た話ほどつまらないものはないね」なんて言うんだもんな。いっぺんに気分もしぼんでしまうよ。まあ、つまらない夢の話なんだけど……。
(彼女の言葉じゃなくて、どこかで見聞きしたのを教えてくれたんだそうです。まあ、どっちにしろ、つまんないのかとギャフンと落ち込んだのは確かでした。それを昔は面白がってくれてたのかどうか、そりゃ、若い時は何だって楽しいですもんね。今は若くないから、何だってどうってことないかもしれないな。まあ、いじける必要もないかな……)
今や、そんな空想力の作り出す夢の世界も次第に間遠になり、夢を見ない夜さえある。日常生活が色彩のないものになると、夢までしぼんでしまうものなのか。どうしようもないと諦めながらも、老いの身にはこれが一番淋しく情けない。
夢も見なくていいです。せめて現実でのんびり楽しいひと時を過ごしたいです。
でも、それはどんな時?
それは、たぶん、ずんずん好きな所を歩いて、つまらない写真を撮っている時なんですけど、その時はひとりであれこれつぶやいているんですけど、なかなかそういう時がないですね。
明日、そういう時間作れるかなあ。