台風はどこへ行ったんでしょう。午前七時に三重県南部に上陸したということでしたが、セミは鳴きだすやら、青い空が見えるやら、どこに行ったのか、わからなくなりました。
そもそも、本当に上陸したのだろうか。だったら、どこに上陸したんだろう。
台風の目って、そこにある人にはわかるのに、部外者にはよくわからない、本当にそれがあるのかどうか、いろいろとわからないところがあるものです。
今回の台風も、私の実感としては、雨もそんなに降っていないし、風もそれほど吹かないし、NHKやメディアのでっちあげじゃないの? と、思ってしまいます。
でも、たぶん、どこかにいるんでしょう。雨や風を持って、三重県あたりを進んでいるらしい。あまりに大きな自然現象なので、私みたいなちっぽけな存在には、よくわからないものになっている。
セミやアリたちも、雨が降るなあ。あれ、日が差してきたぞ、とか、皮膚感覚で感じて、とりあえず自分の仕事をしているらしい。
さて、先日、孔子さんと子どもというテーマで、テレビで見たそのままを受け売りで書きました。とはいうものの、出典がわからず、いい加減なことを書いている後ろめたさがありました。またいつか、調べてみたいです。
孔子さんのお話、『宇治拾遺物語』にもありました。これもたぶん出典があるはずですが、これも不明のまま、孔子さんのことを書きます。
今は昔、唐(もろこし)に、孔子、道を行き給ふに、八つばかりなる童(わらわ)あひぬ。孔子に問ひ申すやう、「日の入る所と洛陽(らくよう)と、いづれか遠き」と。
昔の中国の話です(千数百年前の中国のことを取り上げた意図は?)。ただの子どもなのか、それとも、孔子さんを試そうとするイジワル神様が変装したのか、とにかく、あなたのご意見を聞きたいという子どもさんです。
質問内容は、「太陽が沈むところと、都の洛陽とはどっちが遠いですか?」というものでした。
孔子さんの時代に、洛陽なんて、どれほどの都であったのかわからないですし、後に作られた物語の翻訳版なんでしょうか。
普通の答えは、太陽が沈むところって、地球が丸いというのを当時の人たちは意識していたのか、それが知りたくなりますね。
「太陽が沈むところは、はるか向こうだ。太陽が沈んで見えるけれど、太陽は実は沈むのではなく、ユーラシアをずっとめぐり、大西洋に行き、アメリカ大陸を横切り、太平洋を照らし、ふたたびアジアに帰ってくるんだ。沈むところってないんだよ。」
みたいな、訳の分からない答えでもしたらいいのかな。
孔子さんはどんなふうに答えたんでしょう?
孔子いらへ給うやう、「日の入る所は遠し。洛陽は近し」
孔子さんは答えます。「太陽が沈むところは遠いですし、洛陽はそれよりも近いですよ。」というふうに、子どもに聞かせるようにお答えになりました。
童の申すやう、「日の出で入る所は見ゆ。洛陽はまだ見ず。されば日の出づる所は近し。洛陽は遠しと思ふ」と申しければ、
子どもはそれに対してどのように切り返したのかというと、「太陽が出たり入ったりするところは見ることができます。洛陽の都は見たことがありません。そうなると、太陽が出るところは近くて、洛陽は遠いと思います。」というのでした。
実際に見えるものだけを信じる、自分の肌感覚を大事にする考え方です。それも大事ではあるのです。でも、それにこだわりすぎると、大切なものが見えなくなったりします。
そういう感覚も大事にして、いろいろな情報にも接して、今何が大切なのかを考えて、それから行動するというのが大事ですよね。
孔子、かしこき童(わらは)なりと感じ給ひける。「孔子にはかく物問ひかくる人もなきに、かく問ひけるは、ただ者にはあらぬなりけり」とぞ人いひける。
孔子さんは、この理屈を言う子どもに感心したそうです。素直に子どもの言うことを理解し、それに共感してあげるところ、なかなか立派な人物像です。
普通であれば、「何をぬかしとるねん、アホッ! 生意気なガキやのう」などの捨て台詞でも吐きたいところです。それをしないで、子どもを受け止めた孔子さん、なかなかエライですね。
のちの人々は、「孔子様にこんな風に質問するというのは、なかなか敷居が高くて、簡単にはできないものなのに、このワラベは、普通の人ではなかったのではないか」と噂し合ったということでした。
目の前のことだけ、自分の見たことだけを信じると失敗してしまうこともあります。自然災害を目前にした私たちは、目の前のことと格闘することがあります。
そんな時に、よそからの情報は大事です。それと現実を考えあわせ、行動していくことが中庸・バランス感覚というものですか。