甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

風のごとし 中勘助 1943

2019年11月27日 04時52分05秒 | 一詩一日 できれば毎日?

 今朝も四時起きでした。昨日、寝る前から、「明日も四時くらいに起きてしまうのかな」と、悲しい気分がありました。もっと六時でもそれ以降でも睡眠をむさぼって欲しいのに、体が許してくれなくて、浅い眠りになったところでホイと起こされてしまいます。

 悔しいですね。どうしたら、「ザマーミロ、十二時間寝てやったぜ」と言える人になるんだろう。老化して体力がないから、起きてしまうんですよね。

 まあ、いいや。たぶん、運動もしないし、歩くことさえしないし、どこかでへばっているだけなんだろうな。……少しあきらめモードかな。

 そうでした。起きたら突然に、村上春樹さんの小説のことを考えました。いつも小説の中では、いろんな人が誰かのおうちに集まってお話をして、そのお話の中から物語が広がっていく、ということがよくありました。

 あれは、そんなにみんなが頻繁に集まっているわけではなくて、ごくまれなそういう集まりがとても貴重で、大事にしたくて、それを小説の世界で作り上げたんだ、と勝手な解釈をしました(突然に)。

 ついでに、みんなが見てきたことを語り、その中で結局テーマになるのは「青春」であり、それは若者だけの特権であり、オッチャンがたくさん集まっている時に、ゴニョゴニョ語り、青春とは何たるかを語ってはいけないなとも思いました。せいぜい四十代まででしょう。

 私には、青春を語る権利はない。なぜなら、もうかなりオッチャンだからです。

 でも、憧れたり、シンミリしたりしてもいいかなとブログをするわけです。要はシンミリしたいんです、たぶん。

 というわけで、中勘助さんの1943年の12月の詩を見てください。



   風のごとし

路傍(ろぼう)の裸木(はだかぎ)に木の実(このみ)かれ(枯れ)さがり
刈田(かりた)のはさに鳥だまって尾を振る
やなぎの葉おちて堤さびしく
藁科川(わらしながわ)水ほそりて瀬瀬(せぜ)の音かすかなり
落日を眺めつつ六十年の行路(こうろ)を思ふ
あだかも吹きすぐる一陣の風のごとし
まことに風のごとし
また風のごとし

 まだここまで寒く冬枯れてはいないけれど、シンミリした気分です。四時起きのジジイにはふさわしい詩です。

 風のごとく、軽やかでもないし、
風のごとく、強くもないけど、風に吹かれてどこかへ行かなくてはならない。

 まあ、いいや。どこかへ行ってみよう。そして、あとしばらくしたら、お仕事に出かけ、少しお仕事したら、帰ってお酒飲んで寝ることにします。もう少し寒くなってくれたら、芋焼酎飲むんですけど、それにはまだ寒さが足りません。お酒に関しては、何だか文句言いなんだな。


★ 藁科川は、安倍川モチでおなじみの静岡市に流れる川の支流だそうです。中勘助さんは、少しその奥の方に疎開されてたみたいです。この時59歳だそうです。

 これから後、中勘助さんは1965年の80歳までを生きていくんですから、ションボリもしていられなかった。とにかく目の前には大きな戦争が立ちはだかっているし、あと1年半、いつ終わるのかわからない戦争にウンザリさせられていたはずです。

 愚痴もこぼさず、淡々と年を取っていくわけで、この立ち位置・立ち方を見習っていきたいです。それこそ、風のごとし。どんなふうにして私も風になるかです。決して死んでしまうという意味ではなくて、風のように生きるとは、どういうとらえ方をしたらいいのかなと思い悩みます。

 

 

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