みんな知らんぷりをしているけれど、実は同じ世界に住んでいるし、そこには湖なのか、海なのか、太陽が登ったり下りたりする水辺があります。
みんなそこでホッとしたり、水面のキラキラに喜んだり、見上げる花火と湖とで感動したりしている。
できれば家族と一緒に行ってみたい、若い人なら好きな人と一緒にそこにいたい、なんて思うのです。
一日そこにいたら、夜明け前があったり、真昼があったり、夕暮れがあったり、夜があることになります。暑かったら水辺もしんどいでしょう。風が吹くさわやかな時間なら、散歩でもしたくなるかもしれないな。
せっかく水辺があるんだったら、自分だけのものにしないで、みんなに開放してもらって、みんなで楽しめるようにして欲しいし、どこまでも続く道にしたらいいのに、ついつい人間は囲ってしまうんだ。
水辺のない国はどうしたらいいんだろう。噴水を作ったり、プールで遊んだり、仮想世界でも作るかな。いやいや、水って、侮れないけど、水辺でたわむれるのは楽しいし、大人になってしまって水びたしになれない人もいるんだけど、見ているだけでも涼しい感じがするな。
岸辺があったら、そこに町を作るのはいいアイデアかもしれない。人は開放されるし、流れが生まれたら、近代産業が起こるだろうから。
近代・現代は、水を求めて拡大したのかもしれないな。それは限界に来ているから、今では月や火星の水をあてにしている私たちがいます。そこに水があったとしても、利用できるのは軍需産業だけかもしれないのに、そんなのあてにしても何にもならない。今ある水を頼りに、それらを大事に扱って生きていくしかないのさ。
水は怒ったり、泣いたり、ツーンと澄ましてみたり、いろんな表情を見せてくれる。私たちは水のご機嫌をうかがいながら生きてきたのだと思う。
これからも、水を頼りに、水をいかにしてみんなに配っていくのか、水をどんなにしたら得られるのか、考えながら生きていくんだろう。
この夏、宍道湖の岸辺をまわって、その変わっていく姿を眺めて、有り難さは実感できました。