
神様を具体的に描いてはいけない、偶像崇拝は許さない!
まるで私って、イスラム原理主義者みたいじゃありませんか。
私は、暴力的ではないのですが、あえて具体的に描かないことの有り難さを大事にしたいタイプではあると思います。時にはやさしい仏さまのお顔とかに救われる気分もあるのかもしれないけど、基本は祈るという行為を大事にしたい方で、何かの対象に向かって祈らせてもらうタイプではないと信じています。
それで、昔からずっと思ってて、昨日久しぶりに思い出したことがありました。吉川英治さんが「私本太平記」を書かれる時に、足利尊氏さんのことを調べていて、若き高氏さんが地元で信仰されている神様の正体を知りたいと、こっそりご神体の置かれているところに忍び込んだというエピソードをどこかで聞いたそうです。
とうとうご神体の入っている箱にまでたどりつき、こっそりとそのふたを開いた。すると、中には石ころが置いてあっただけだった。
そういうエピソードを英治さんは誰かに教えてもらったんだか、それともひらめいたんだったか……。とにかく、そのエピソードが案出できたあと、英治さんには「長い物語が書けそうな気がした」と書かれていた。
というのを私は読んだはずなんですが、まさか気のせいではないと思うし、何かと混同しているという可能性もありますが、とにかくそこから物語はスタートしたらしい。
そして、後に足利尊氏となり、せっかく後醍醐天皇に仕えることができたというのに、今度はその後醍醐天皇のもとを去り、独自の政権を打ち立てるまでにのし上がっていく、少しどっちつかずというのか、いつの間にか自分が主役としてのし上がったというのか、吉川英治さんはそういう人を中心にして物語を書きました。
同じく吉川英治さんの「新平家物語」でも、平清盛が、みんなが逃げ惑う比叡山王権現のお神輿をかつぐ山伏集団に断固として弓を弾き、とうとうお神輿に弓を命中させるバチ当たりなことをするエピソードもありましたが、清盛も尊氏も、そのスタートのところで「神とは何か」「神は人々を苦しめてよいのか」「そんな神なら弓引いてもいいのではないか」という新しい人物像を作り出すことに成功しました。
そういう人こそが時代を切り開いていくのだというメッセージになっていました。
そうです。神様は形をもってはいけないし、人間を通して猛威を振るってはいけない。だから、タリバンもいいことをしているのかもしれないけど、暴力と神を気取った暴行・凶行はダメですね。
というわけで、カゴシマのたのかんさあでした。今度見に行きたいです。どこにでもあるようで、私なんかが行けるところにはないのかもしれない。
やはり、地元に住み、あちらこちら歩いて、そして出会うしかないのでしょう。
