Kの高校での生活も1年が経過した。当然ながら、新入生、1年下の学年の生徒たちも入学してくるのだった。
入学式 [1976/4/2 金 記]
昨日は、藤村の「春」を読み終えました。まるで涙のようにキラキラしていた。
甲子園でも、ボクと同じくらいの年齢の青年たちが一球を追ってグランドを駆けていました。
新聞にも、大鉄局(大阪鉄道局というペンタゴンみたいな建物が梅田にありました)調べという小さな欄に目を引かれ、「ふくらむ」をたくさん見つけた。
ちっちゃな子供が、裏の路地で、男女混合の連隊を作って、いろいろ言っています。裏の路地は、犬や猫たち、野良も飼育も、たくさんの動物が通るけものみちのようです。当然フンがいっぱい落ちています。また、どこかから夜にだれかがやってきて、ビニールの包装紙などをまき散らしていきます。そんなゴミみたいなものでも、洞門のような暗い路地を進む子供たちは楽しんでしまいます。狭い路地を一列に並んで、「ウンコがあるわ」「キタナー」の連発が少女らから起こり、男の子らは黙っていました。
まるで春眠のようです。今、ボクがここにいるのも夢のようで、夢の中のボクが何か文章のようなものを書こうとしている。
四月も二日になって、ようようカレンダーを破いて、いよいよ今日からは出発の春です。まだ朝の間だから、洗濯機のぐるぐるする音がします。まだ水は冷たいかもしれません。
家の中には、お父さんがいて、土佐対徳島商戦をテレビで見ながら、日記を書いています。いつもは弟が見ているのですが、さっき母と一緒に中学に行きました。初めての中学なのです。入学式です、もう。
高校のころまでは、Kには春が一番好きな季節だった。春休みとなれば、朝寝坊を楽しみ、いつまでもフトンの中でうとうとしていた。夏のように暑さで目覚めることもなく、冬のように小さくなっている必要もない。さしあたっての用事もないことが多く、心身ともにのんびりする季節であったのだ。
人はどこでどんなことと出会うものなのかわからず、Kはひたすら春を謳歌していた。
「春はおだやかで、楽しいし、小鳥は鳴くし、何だかウキウキする」
そんな無邪気なことを思っていた。
センバツ高校野球、菜の花、教科書販売、クラス替え、高校入試・合格発表の悲喜こもごも、定期券購入その他いろいろの新学期準備があった。
春のうかれた街の雰囲気が好きで、繁華街を歩いたり、文房具売り場をめぐったりした。それが春というものだった。
時々は電車に乗って奈良などへKは1人で出かけた。春の大和路を行くというのは、文学にあこがれる若者としては当然のコースで、お寺巡りを1人で不案内にもかかわらず、やみくもに歩いた。国宝をながめ、ひたすら歩き、お金はなるべく使わず、街の風景を楽しむというより、何か「これは!」というものを求め、結局「これは!」というものにも出会わず、疲れて帰りの電車に乗るというパターンであった。
それが春の街へのあいさつで、くたくたの体をもらうためにどこかへ出かけた。そして希望通りに快い疲れを手に入れたのに、「今日は何も得るものがなかった」と不平を鳴らすのであった。なんと贅沢な日々だったのだろう。
それにしても、ゆったりした春休みに、島崎藤村の『春』(1908)を読んでいるのは、できすぎていた。わざとらしすぎる気もするが、そこがKという人のオッチョコチョイなところだったのである。
そういう文学者気取りだから、読むのが大変そうな『夜明け前』には手を付けなかったのである。
入学式 [1976/4/2 金 記]
昨日は、藤村の「春」を読み終えました。まるで涙のようにキラキラしていた。
甲子園でも、ボクと同じくらいの年齢の青年たちが一球を追ってグランドを駆けていました。
新聞にも、大鉄局(大阪鉄道局というペンタゴンみたいな建物が梅田にありました)調べという小さな欄に目を引かれ、「ふくらむ」をたくさん見つけた。
ちっちゃな子供が、裏の路地で、男女混合の連隊を作って、いろいろ言っています。裏の路地は、犬や猫たち、野良も飼育も、たくさんの動物が通るけものみちのようです。当然フンがいっぱい落ちています。また、どこかから夜にだれかがやってきて、ビニールの包装紙などをまき散らしていきます。そんなゴミみたいなものでも、洞門のような暗い路地を進む子供たちは楽しんでしまいます。狭い路地を一列に並んで、「ウンコがあるわ」「キタナー」の連発が少女らから起こり、男の子らは黙っていました。
まるで春眠のようです。今、ボクがここにいるのも夢のようで、夢の中のボクが何か文章のようなものを書こうとしている。
四月も二日になって、ようようカレンダーを破いて、いよいよ今日からは出発の春です。まだ朝の間だから、洗濯機のぐるぐるする音がします。まだ水は冷たいかもしれません。
家の中には、お父さんがいて、土佐対徳島商戦をテレビで見ながら、日記を書いています。いつもは弟が見ているのですが、さっき母と一緒に中学に行きました。初めての中学なのです。入学式です、もう。
高校のころまでは、Kには春が一番好きな季節だった。春休みとなれば、朝寝坊を楽しみ、いつまでもフトンの中でうとうとしていた。夏のように暑さで目覚めることもなく、冬のように小さくなっている必要もない。さしあたっての用事もないことが多く、心身ともにのんびりする季節であったのだ。
人はどこでどんなことと出会うものなのかわからず、Kはひたすら春を謳歌していた。
「春はおだやかで、楽しいし、小鳥は鳴くし、何だかウキウキする」
そんな無邪気なことを思っていた。
センバツ高校野球、菜の花、教科書販売、クラス替え、高校入試・合格発表の悲喜こもごも、定期券購入その他いろいろの新学期準備があった。
春のうかれた街の雰囲気が好きで、繁華街を歩いたり、文房具売り場をめぐったりした。それが春というものだった。
時々は電車に乗って奈良などへKは1人で出かけた。春の大和路を行くというのは、文学にあこがれる若者としては当然のコースで、お寺巡りを1人で不案内にもかかわらず、やみくもに歩いた。国宝をながめ、ひたすら歩き、お金はなるべく使わず、街の風景を楽しむというより、何か「これは!」というものを求め、結局「これは!」というものにも出会わず、疲れて帰りの電車に乗るというパターンであった。
それが春の街へのあいさつで、くたくたの体をもらうためにどこかへ出かけた。そして希望通りに快い疲れを手に入れたのに、「今日は何も得るものがなかった」と不平を鳴らすのであった。なんと贅沢な日々だったのだろう。
それにしても、ゆったりした春休みに、島崎藤村の『春』(1908)を読んでいるのは、できすぎていた。わざとらしすぎる気もするが、そこがKという人のオッチョコチョイなところだったのである。
そういう文学者気取りだから、読むのが大変そうな『夜明け前』には手を付けなかったのである。