昨日、大阪の関空に着いて、そのまま実家の方へ行き、弟や母とも久しぶりに会ってみんなでゴハンを食べました。母のお得意のから揚げとエビ天その他でした。それから今日の夕方、家にカムバックしました!
何だかとても長いブランクがあったような気がしています。金曜の朝は、確か時間があったからパソコンを開いていたと思うけど、そこから四日間はパソコンの画面を見ませんでした。それはある意味しあわせですけど、眉間にしわ寄せてチョコチョコとケータイを打つよりは、空間的に余裕があります。これはもうクセですから、習慣ですから、禁断症状が出てしまう。
何てことかなぁ。
旅の後半というかラストは、室蘭の地球岬というところに行く、それだけがテーマでした。基本は、いろんな鉄道に乗るということだったんですが、北海道のJRは、使われてる車両を見てワクワクするということがなくて、雪国だから、みんな同じ仕様になるのは仕方がないのかもしれないけど、それでも塗装を変えるとか、ディーゼルは違うラインを入れるとか、路線によって色を変えるとか、バリエーションがあってもいいのかなと思いました。
でも、信じられないくらいの特別な風景の中を走ってくれているのだから、心を躍らせて車窓を見るだけでいいのかもしれない。
でも、どんなに特別な風景だって、地元の人にはありふれたものになってしまうだろうし、どれもこれも雄大で、川は何だか深い色で(そんなに深い川じゃなくても、青とみどりと茶色と、むき出しの色でした)、素晴らしいものだったし、南北に伸びている高速道路では見られない風景だったはずですが、そんなものは時代と経済には合わなくて、切り捨てられていく車窓の風景なのだと思われます。
ずっと恋焦がれていた長万部のかにめし、本店で買って1250円でしたけど、すぐに駅では食べられなかったし、しばらくそのまま持って移動して、ホテルの夕めしにしましたので、開いた時には少し乾いた感じになっていました。
こんなに味気ないものだったかな。確かに一緒にビールも飲めるし、うれしいんだけど、昔食べたものはこれだったのか。あれから、私たちの舌というのはどれだけ甘やかされてきたのでしょう。何が贅沢で、何がおいしいのか、わからなくなってきたのかもしれないです。
もともと味オンチの私ですけど、あこがれの「かにめし」は、イメージとは違う味だった。そして、私のカニの味覚は、贅沢どころか、食べ慣れてる「カニカマ」(これには蟹は使われてないでしょう)に占領されていて、何が蟹でそれと他のものの違いが分かるどころではなかったのです。
私に何を食べさせても同じ、ということですね。本当にわかってないのです。
だったら私は、何をしに北海道まで行ってきたのか、味を楽しむではないし、絶景を見に行くでもないし、そこにある北海道とやがては廃止される鉄道に乗るのと、空気を感じに行ったということなんでしょう。
それは楽しみました。お酒もいつもよりたくさん飲みました。さすがに、普通電車に乗りながら缶ビールをあける、なんていうことはできませんでした。私を取材するテレビクルーがいるわけじゃなし、私はトボトボと移動しているだけでしたが、それでも私なりに歩けたという気持ちがしています。
ひょっとすると、むやみに歩きたかっただけかもしれない。こづかいを使って、それをするためだけに出かけたのかもしれないです。
まあ、それもいいですね。明日から仕事があります。今晩も少しだけ仕事して、明日に備えようと思います。たくさん遊んできたのだから、少しは仕事もしなくちゃねえ。