つい先ほど、実家から帰ってきました。道はそんなに混んでいなくて、うちにしてはスイスイと帰ってきました。
クルマで土曜から月曜まで、少しだけ行って来ました。
私の実家は、かなり荒廃しているようです。というのか、街に活気がないですね。お年寄りだけがそれなりに歩いてはいますが、若者たちが爆発する空間はありません。昔走っていた暴走族さえいないはずです(いるのかな? いてくれたら、うれしいというより、やはり迷惑かな。暴走族はいなくていい!?)。
おうちはたくさんあります。空地もところどころあって、駐車場になったり、それらしい駐車場付き三階建てみたいなのが建ってたりするけど、どのおうちも、そこに誰かがいるのかさえ感じられない。
そうです。昔って、家の中の声や物音が外にあふれていました。
今は、そんな物音を外に漏らさないし、人がいる気配を消して、いるのかいないのか、それさえ分からなくなっています。シーンとした老人たちだけが歩く街、それが私の実家です。
三連休だから、街そのものも眠っているようで、駐車場のワンボックスカーたちも、今日はお休み、というふうに言っているような気がしました。誇らしげに休んでいました。
ネコはところどころで会いました。朝の時間だから、ネコたちも、何か食べようかな、どこへ行こうかな、なんて動き出したところだったようです。
ふと思いました。私は朝の散歩に出かけましたが、私が今でも歩ける範囲の中にせいぜい二キロ四方でしょうか、その中にどれくらいの風呂屋さんがあったでしょう。
千歳湯、万歳湯、恩加島湯、小林温泉……、七つくらいあったかな。今は二軒だけが営業していて、他はすべて廃業してしまいました。
T大のすごい学部に入ったという同級生は、どこにいるんだろう。長身の彼が淡々とお仕事しているお話でも聞かせてもらえたら、少しだけうれしいんですけど、まるで情報は入りません。
お風呂屋さんがそうなのだから、たくさんのお店がみんな廃業していきました。八百屋さんの女の子たちはいなくなってしまったし、服屋さんも、お肉屋さんも、本屋さんも、化粧品屋さんも、たいていはなくなりました。
建物は何かがありますが、お店ではなくなりました。
そうなると、母みたいな高齢者は、お買い物がしたいのに、都会の真ん中にいるけど、近くで買いたいものがないという状況になります。
食料品の店はありますが、そこくらいで、昔みたいにお店をはしごするとか、そういうことは不可能になりました。
昔、つい三十年くらい前、都会では、自分の好みの店を探して、自分の好みの生活スタイルを模索するというのが、歩いて行ける二キロ四方でできた、のかもしれません。
今あるのは、福祉施設とお寺(二つとも生き残っています)と、病院くらいかな。病院は新しいのができたり、母が痛くもないのに注射してくれるお医者さんがいたり、それなりに繁盛している様子です。新しい建物を建て、豪華なおうちを作っています。
こういう未来を、母や父たちは夢見てきたのでしょうか?
何だか、こういう未来が見えていたとは、何か違う未来になってきたのではないのかと、私なんかは思います。
三十年前、私は何か未来を見ていたのか?
何にも考えてなくて、自分の生活と仕事に思い悩み、主にそればかりで、あまり未来のことなんて考えていませんでした。
歴史は勉強していました。過去にこんなものがあり、今につながっている。音楽も美術も、子育ても、親子関係も、政治も、未来のことはわからないけど、とりあえず、自分たちの方向を、過去の在り方から探すことはしていたでしょう。
流行りものにあこがれ、お金はなく、行動力もなく、ただ、家族とかたまって生きてきたのかな。たくさんの人がそうだったと思うのです。
それで、作り上げた未来は……、うちの実家の近所にドーム球場ができたり、環状線で快速が止まるようになったり、地下鉄がドームのところまで来たり、イケアさんが店を出してくれたり、そんなことはありました。
でも、街はどんどん活気が失われ、大きな工場が廃業したり、スモッグだらけだった空は、いつも晴れたら青空になりました。
川も、どぶ色ではなくなって、みどり色にはなりました。きれいな澄んだ水になるということは無理なんでしょう。もう、戦国時代でも、それなりに汚かったかもしれない。大阪の川の水って、筋金入りの汚さなんでしょう。
これから三十年、外国の人は、エキゾチックと猥雑さを求めて、大阪を訪れるでしょう。何しろ1970年の万博の時、外国の人(西欧系)の人たちにサインを求めた土地柄です。
この物見高い土地柄を生かさなくては! 役所に頼っていてはダメだから、人々と役所と経済界がみんなで手を携えなくては! まあ、言うだけは自由だから、言うだけは言っとこう!
今も、韓国系・中国系たくさんの人々が、自分たちの生活場所として大阪を志向している。どれくらいの節度を持って、これからアジアの人に向かうのか、大阪の生きていく方向性が求められています。
未来は、どうなるかわからない。でも、少なくとも、私の大阪(実家の二キロ四方)は、形があるのに実際の人々の暮らしがカサカサになっている気がしました。
気のせいかもしれない。お休みだから、みんなどこかへ出かけたのかも。
そうかもしれない。街にはお年寄りばかりだったのです。
若い人は二キロ四方なんていう狭い世界に安住していない。
若い人は、世界に飛び出して、自分の生きる道を探しているんでしょう。
きっと、そうかもしれない。うちの実家は空の巣になっていた。空の巣を守る母は、今までずっと手持ちぶさただったから、私たち家族に大歓迎だったのでしょう。
魅力ある大阪は、どこにあるんだろう。都構想ではないです、たぶん。
もっと人を大切にする街にならなくちゃ。あいかわらず、どこもかしこもあまりきれいじゃないし、公園は荒れ放題でした。観光地はピカピカなんですけど……。