甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

どこかに美しい村はないか 茨木のり子さん

2016年06月16日 21時57分12秒 | 一詩一日 できれば毎日?

 雨がシトシト降っています。お仕事はそれなりに頑張りましたが、何だかサイテーの気分です。そういう暗い気分になってしまいました。

 そして、あと数年で、ふたたびプータロー(若い人に意味が通じないみたいです)生活がやってきます。あまり希望はありません。でも、何かをして生きていくと思うのだけれど、その何かはまだ見つかっていない。

 私がプータローになったら、うちの生活はどうなるんだろう。やはり、何らかのお仕事はしないと、お金がないですもんね。困ったなあ。何をして生きていこう。

 詩を書いたり、絵を描いたりして生きて行けたらいいのだけれど、そんなことを急に始めてもダメですし、今からあわてて絵を描いても、私が突然曽我蕭白になれるわけはないしなあ。



 奥さんと一緒に旅しなきゃいけないわけですから、奥さんと生活しなきゃいけない。そのお金が必要……とか考えると、暗くなります。

 雨もシトシト降っていました。仕事はパッとしない。


 お酒飲んで、お風呂から上がったら、たいていはブログの構想ができてるんですが、今日は、さっきの暗い気分がなくなって、そうだ、こんな日こそ、茨木のり子さんの「六月」じゃないのかと、ふと思って、詩集を取り出してみました。

 昔は、てっきりヨーロッパの六月のイメージで作ったんじゃないの? と思っていました。

 でも、これは、梅雨でジトジトの日本で、希望はあまりない、イヤなことばかりがつづき、高名な方たちが次々とお亡くなりになり、いよいよ私たちは、暗い明日へ放り出されそうな気分のとき、それでも、私たちは生きて行かなきゃならないと、茨木さんがお作りになった詩ではないかと思ったのです。

 長い前置きになりました。




   六月

どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒(くろビール)
鍬(くわ)を立てかけ 籠(かご)を置き
 男も女も大きなジョッキをかたむける

 この雰囲気は、ドイツみたいでしょ? そう思うのはビール会社のイメージ戦略に乗せられてるからでしょうか。本当は、日本にだってこんな風景はあるのかもしれない。北海道や仙台くらいにはないかなあ。いや、フルーツ王国の山形だったら、こういう風景とさわやかな緑の町があるのではないか? 

 そう思ってしまうくらい、楽しそうな町です。そうだ。昔はうちの奥さんもいけるクチだった。彼女と居酒屋に行って、彼女がどんどん食べて飲んでするのは、私の喜びでもあった。どういうわけか、彼女が飲むと私まで陽気になれるんだから、男も女もワイワイ言って飲む姿は、楽しそうです。


どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮(ゆうぐれ)は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

 私は、いつの間にか若者たちから一歩引いているオッチャンになってしまった。強引に自分のペースに引き込もうという姿勢はなくて、無理をせず、若者の好きなようにやらせている。若者たちは、何をやってもいいんだと無軌道になって、私なんかいないものとして行動するときがある。それでも、私は、若者たちの好きなようにやらせている。

 私って、つくづく指導力がないですね。なにもかもほったらかしだ。そして個人主義だ。これでは若者は無軌道になるのも当たり前。なのに、私は何もしない。

 でも、それでもいつかは、若者たちもオッチャンの年齢になるし、私はたいていのことには口を挟まず、自分の好きなことだけをやり、時々チームプレーをする。ああ、私って、役に立たないオッサンだなあ。自分へのグチはおいておいて、とにかく、若者が楽しそうにやっているだけで、それで元気は広がるので、それはそれでいいのではないの?


どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
 したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる

 そうでした。野放図なだけではダメでした。適度な緊張感と、不正を許さない、お互いが声を掛け合う、お互いをお互いで助け合いつつ競い合う、そういう社会は理想です。

 今は、みんな「自分がよければそれでいい」という形になっています。ものすごくそうなっています。表面的には穏やかで、人が良さそうに見えても、他人に対してものすごくシビアで愛のない世界に私たちはいる。とても連帯感や一体感はなくて、みんなバラバラです。それが基本の社会になりました。

 おそらくお隣からものすごくなまぐさいニオイがしたとしても、警察か市役所に苦情の電話をするだけで、自分からお隣を訪ねることはありません。すべては公のところが解決し、自分たちはそれが処理されたらそれでいいと思っている。


 外は雨で、じっとりとしたイヤな感じの一日でした。でも、私たちは、その中で、明日への方向性を見つけなきゃいけないし、小さくだれかと連帯しなくてはならない。そう私は思います。そのために、何をする? 

 とりあえずふて寝をして、また明日少しでも早く起きて、コーヒー淹れて、少しでも奥さんとおしゃべりして、まわりの人にも自分とは何かを伝えられたらと思います。オッチャンなのですから、せいぜい努力します。

 明日の今ごろ、また同じようなこと書いているでしょうか? あり得ます。せいぜい頑張ります。



★ やはり、今も同じところにいます。ちっとも成長していない。もうこんなじゃ、何年経っても同じです。少しでも違うところに行きたいな。そのためには、地道に何かに努力しなくちゃね。今は? そうですね。規則正しい生活と、日々の運動ですね。運動は全くしていませんから、これはハッキリだめだと思う。(2019.11.24)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。