しばらく何をしているのかサッパリわからなかった小沢一郎さんが、近ごろ少しだけテレビで見るチャンスがあります。不思議です。小沢さんはまだ政治家をやってたんですね。てっきり陰の実力者に転身したのだと思ってたら、実はまだ現役だったとは!
お相手は国民民主党の玉木さん。そもそも国民民主党って、もとは民進党の置いてけぼりにされた人たちの集まりでしたっけ。そういう人たちが集まって細々とした集団を作っていたんですね。知らなかった。こうした日陰者の政治家さんたちが、スポットライトを当ててもらおうと動いているけれど、この人たちの何を信用すればいいのか、国民としては悩みますね。世の中の流れとともに、あっち行ったりこっち行ったりすることを支持してあげるのか、それとも他の選択肢を取るのか。
まあ、ふつうなら、フラフラ浮ついている人たちの主義主張なんて、とても信じられないし、そもそもこの人たちがちゃんと議論をしているのか、議論する場を持っているのか。何がやりたいのか。サッパリわかりません。
たぶん、選挙前になったら、何か並びたてるでしょうけど、当てにならないものとして聞き流すしかありません。彼らに投票しても、次の日には違う政党に所属しているかもしれないし、彼らはどこに落ち着くこともできずに、フラフラフラフラさまよっていることでしょう。
いっそのこと、自民党に合流したら、と彼らも考えているかもしれない。そして、またも有権者は落胆するんでしょう。情けないことです。メディアはそうした落ち着かない人々として彼らを報道しているようです。意見はまとまらない。お互いを信じない。いつも主張を変える。そもそも主張が何なのか、それさえわからないし、本人たちもまともに述べていない。ただ、権力を欲しいだけで右往左往しているとしたら、とんでもない裏切りです。
それでは、政府は信用できるのか?
もちろん当てにはできません。まあ、たいていの人が政府を当てにしてはいけないと思っていることでしょう。若者は、消費税のアップを聞くだけで怒るでしょう。でも、それは仕方のないことなんです。こんなに国家として借金まみれの国は存在しない。それでもやれているのが不思議なくらいだけど、国家のシステムも国家の施設・設備もガタガタになっている。それを直そうと予算は組まれているはずだけど、どこか使いみちがおかしいのか、ちっとも機能していない気がします。
最近新聞で、奨学金の非道な取り立てを読んだことがありますが、奨学金制度は、本当に少ない人数で全国のいろんな人の希望に合わせねばならないので、どんなに機械化しても、うまく回っていない気がします。それなのに取り立てはしなきゃいけないし、システムは機械化しているのでお金は出すけど、取り立てはもう少し人間的にしてもらわないと、奨学金を受けていた人間もその保証人も困るはずなのに、この取り立ては問答無用です。
あれこれと細かい返済のルールは設けられているのに、そういうルールでの対応は無視して、とにかく取り立てを強行して、苦しめられている人たちがいる(返す当てもないのに、奨学金を借りやがって、そんな奴らは苦しめばいいのさ的な冷たさではないですか? そこに人間味は一切ない。取り立ての現場もたぶん苦しくて、非人間的な職場たと想像されます。そんな仕事をさせられている人たちがかわいそうになるくらい)
政府が作った奨学金ではないけれど、政府が人員を削減して行わせている奨学金制度ではあります。いろんなところから人間・人件費をカットして、自分たちのポジションは絶大で絶対安定というところを保持したまま、人件費だけがけずられている。
そういう政府だから、心ある人たちもたくさんいると思われますが、余計なところで心ある人たちも疲弊していることでしょう。首相の外遊がやたら多いのもどうかと思うのです。最初のうちは顔を売る必要もあるし、トップセールスもあるのかもしれないと思ってましたが、こんなに外国に遊びにばかり行く(もちろん成果なんか何もない)トップに随行させられる人々、下準備を指示された人たち、ものすごくこき使われていることでしょう。
外遊だけではなく、いろんなところで無駄な神経を使わされていると思われます。最近のお役人さんたちの答弁も役所での仕事も、すべて配慮・忖度ばかりで、余計な書類はすべて隠さなくてはならないし、処分するように強い命令は出るだろうし、それをやらないことにはどんなとばっちりが来るかもしれないので、みんなそちらばかり見て仕事をしているようです。
エリートとして国家公務員になったものの、国民へ奉仕するのではなく、政府に徹底的に奉仕させられるお役人さんたちって、どうなんだろう。本人たちはそれしか見えないから、目先のことで精一杯やっているんでしょう。人員はあまりないので、適当なところは適当に手を抜いて、それなりにやるしかないではないですか。
ああ、偉い人たちのことを考えると、むなしい気分がいっぱいになります。
そして、最近は韓国の政府の姿勢がやたら強調されています。こちらは何もしていないのに、相手が敵対的な行動をとっている。こちらが何十年も前に話がついたことではないかと言っているのに、韓国政府は「もっと謙虚になったらどうだ」などという言いがかりをつけてくるとかなんとか。
確かに向こうもおかしいところもある。そんなの当たり前です。国と国とは、同盟国であろうとも、とんでもない条件をふっかけてくるのは当たり前・日常茶飯事なのです。もちろん合衆国だって、とんでもないことを日々押し付けている。そんなの当たり前です。
だから、辺野古の基地建設は絶対であり、沖縄県民がどんなに泣こうがわめこうが強行する、粛々と行うのは政府としては当たり前です。でも、それは報道しない。合衆国がムチャクチャなことを言ってきても、それは報道しない。韓国のニュースは流す。
それは向こうが次から次と敵対的な事実を突きつけるから、対抗上、こちらの世論も盛り上げなくてはならないし、相手のムチャクチャを次から次と列挙する。たくみに情報をコントロールしているつもりなんでしょう。
かくして私たちは、「何だよ、韓国政府、ムチャクチャなことを次から次と言うし、実際にやっているし、外務大臣同士の会見でもうまくいってないみたいだし、ギスギスしているよな」と思わされている。
私たちは、誰かの手のひらの上で転がされているんでしょう。
とにかく本筋としては、韓国とはどんなことがあっても話し合っていかなくてはならないし、事件が起きても、お互いの努力で解決しなくてはならないんです。そして、できれば国民は踊らされず、自分たちのチャンネルで韓国とつながらなくてはならないし、過去の事実に向き合い、いつまででも戦争の悲惨な歴史から学んでいかなくてはならないと思うんです。
偉い方たちに任せていてはいけない。過去に日本は韓国を侵略し、何十年も蹂躙した。戦争が終わって、朝鮮半島が戦場になったら、自分たちがどうすれば儲かるかで動いて、戦後復興をさせてもらった。いわば朝鮮半島を踏み台にして自分たちの国を再構築した。そういう歴史があったのも忘れてはならない。
でも、今は相手に言いたいだけ言わせるのではなくて、ちゃんとそうかもしれないが、だったらケンカしていいのか、私たちはそういう関係なのかと、相手に再考を迫れる存在でなくてはならない。敵対的に話すのではなく、
「そうじゃないでしょ。私たちはお互いに助け合ってアジアの東でともに切磋琢磨するような国同士でしょ。非難合戦なんかしても何も始まらない。あなたの国は、日本非難ばかりしていていいんですか。私の国はそんなことはしないですよ。自分に自信がないから、よその国の非難をして人気を取ろうなんて、もう古いですよ。お互いを認め合って、ともにアジアで生きていきましょう。」
そう言える偉い人いないんだろうか。こんなの大っぴらに言わなくていいから、こっそり相手に伝えることのできる人、いないんだろうか。
結局、何か言いたかったんだろう。
偉いお方たちが教えてくださる情報は、信じてはならない。これが言えることなのかな。