東北・北海道に向けて台風18号は北上しているそうです。三重県は、予報通り、昨日の24時くらいまでが大変で、ガタガタあちらこちらでしていました。今朝も、あと少ししたら、庭の掃除をしなくてはならないです。
久しぶりですね。庭いじりも、大人の楽しみだな。若い人にはなかなかわからないかも。
パソコンを開いてみると、来月に国会は解散するそうです。選挙もあるそうで、自分たち本意の解散ですね。どうして今それをしないといけないのか、国民の関心がないときに、ふいを襲って解散をする。これが権力者のやり口です。そうだ。民主党のときは、あの人たちは権力になれていない感じで、何だか不審な動きが多かった。自民党の権力者たちは、ふんぞり反って言い寄ってくる奴らと適当にやるだけだから、権力者然として見えているのかな。
ああ、自民党はあてにならない。民進党は何がやりたいのかわからない。公明党は団体票だけの政党だし、その他大勢は全く不明。共産党は、いいことを言っているように見えるけれど、本当にそうなのか、これは不明。
だから、国民は議員さんたちのキャラがあまりにぼんやりしているものだから、投票する気力を失い、つまらない人たち(エリートと世襲議員さん、アベガールズですね)が当選していきます。困ったなあ。国の方向性を決めなくてはならないのに、こんなことになっている。
昨日おととい、ずっと家に閉じこもりでした。雨は降っているし、いつ台風が暴れるかわからないし、家にチンマリしていた。片付けを少しだけしましたが、まだまだ片付きません。
こんなひっちゃかめっちゃかの部屋で、ずっと私はパソコンを開いているんですね。もう少し整理された部屋にいないと、何もかもがいい加減で混乱したものになるでしょう。あと少し片付けましょう。
それで、本も読みました。田丸久美子著「シモネッタ男と女」(2011?)、文庫は2013年。田丸さんが通訳として接するチャンスあった人たちとの交流が書いてあります。日本人と違って、イタリアの男と女は、なかなかおもしろくて、小さい日本に縮こまっている私としてはおもしろかった。こんな生き方がしてみたい。でも、たぶん無理だなと読んでいました。
最後は、通訳仲間の米原万里さんのことが書いてあって、しんみりしました。そのあとがきから抜き書きしてみます。万里さんが亡くなってからのことです。
変節のきっかけは米原万里を失ったことにある。2006年はおぞましい一年で、5月に万里を、11月には、中学、高校、大学と、最も多感な十年を共有した友人を、同じ病で亡くした。享年も同じ五十六。妻として母として、普通の人生を普通に送った彼女と万里、対極にあるような二人だが、私にとってかけがえのない友だった。
五十代という中途半端な年齢で友が亡くなり始めると、人生の無常がしみじみ身にしみるようになる。四十代までの死は「夭折」、その不当さに強い怒りが湧く。六十代の死は、定年までたどり着いた「ごくろうさま」と、第二の人生が楽しめなかったことへの哀悼、悔しさは残るものの、区切りの年齢という諦観も出てくる。七十代、古稀、古来稀な年齢まで生きた幸運と、まだ早いという不運がないまぜになる。八十代の死、平均年齢まで生きたことに少し納得する。九十代の死は「寿命」、九十年も命を寿(ことほ)いだことに羨望すら感じる。
だが、これらはすべては、新聞などで他人の「享年」を見たときの感想でしかない。死は、当事者にとっては、何歳であろうと「不条理」なのである。
ああ、不条理は消えない。何歳になっても納得できない。でも、誰もが必ず死を迎えることになっている。どうしたらいいんだろうと、嘆いても仕方がなくて、私は、とりあえず今、せいぜい頑張ること、これを胸にまた明日生きていこうと思います。
突然のまとめですけど、そんな気分でした。