ミシマさんのお父さん・平岡梓が、息子さんのことを本に書かれていました。本が出たのは72年の5月、ミシマさんが亡くなったのは、70年の11月25日のことで、お父さんはわりと早く本を出されたみたいです。それを私は、44年後に読んでるんですね。知らなかった。何たる不覚です。
文春文庫で出た初版の96年に、私はこの本を買ったようです。だったら、すぐに読めばいいのに、買ってから20年してやっと読んだなんてね……、あまりに時間がズレすぎていました。まあ、仕方がありません。
その日、ミシマさんたちは、なじみの自衛隊の市ヶ谷本部に行きます。どうしてそこで切腹なんかできたのか。そんな武装して日本刀なんかを所持している物騒な人たちが、どうして自衛隊の中に入れたのか。セキュリティはどうなっているか、と不安なったりします。昔は、そんなものだったのかどうか。三島さんたちだけ特別待遇だったんでしょうか。
実は、ミシマさんたちは準会員というのか、顔なじみというのか、顔パスというのか。何度も体験入隊などをしているし、ツーカーの仲だったみたいです。だから、わりと簡単に内部に潜入できたようです。あとは、自分たちの計画通り、自衛隊の重要人物を監禁して、その人を盾にして、自衛隊の決起を促し、天皇の軍隊として自衛隊を機能させていく、そういう計画だったようです。……真剣にそんなことが実現できると考えていたのかどうか。1つのアピールとして立ち上がったのかどうか……。
あんなに賢い人が、どうしてそんな愚挙に出たのか? 私はそこがわからなかったのです。好きな作家だったのに、わからなかった。そして、だいぶ時間が過ぎて、三島さんにまつわるいろんなものがほぐれて消え去った後、最後の作品「豊饒(ほうじょう)の海」を読んだんでした。そして、さらにわからなくなって、ずっと遠ざかり、20年ぶりにミシマさんを読みたい気分になった。
20年前に1度捨てたモノを、ふたたび取り返そうとしている。どうしてなんだろう。
1970年と言えば、全共闘・安保闘争の時代から、ノンポリでやさしい時代、ぬるま湯時代に突入していく頃でした。だれも天皇中心の国家を作り、天皇の軍隊としての自衛隊が社会を支配していくなんて、そんなことは考えていない時代でした。あまりに時代錯誤でした。
そういうのは、一部の頑迷な右翼の人だけが、勝手に妄想しているだけことでした。なのに、あの賢明な三島由紀夫さんが、そんなことを考え、実行しようとした。もちろん、自衛隊では、だれもそんな空想に追随するものはなく、当時の私も、何が起こったのかわからなかった。小学生だったので、本当にぼんやり受け止めただけでした。
なのに、中学時代、三島さんはこの世にいなくなったのに、思春期の私は、ミシマさんの作品にひかれていきました。思想的には三島さんとは全く違うモノを感じていたはずですが、作品だけはあれこれ読みました。たぶん、理解はできていなくて、ただ教養として読んでいただけなのかもしれないけれど……。
たぶん今読んでも、どれくらい理解できるのか、少し不安はあります。
でも、今回読んだ、ミシマさんのお父さんの本は、父として生き急いだ息子のことをあれこれ回想していて、父親としての気持ちが理解できた気がしました。お父さんは、死んでしまった息子を懸命に理解しようとしている姿に心打たれたのです。
というわけで引用します。
伜(せがれ)は刀で切りつけ、(自衛隊の連中を)追い出し、要求書を渡し、全隊員を広場に集合させるよう求め、
「総監には露ほどもおうらみすることはなく、申しわけなかった。しかし、これしか方法がなかった。このあと私は死ぬんですから」と言い、また、
「自衛隊を天皇にお返ししなければ日本の国は滅びます」とも申しました。
そして、森田君(三島さんのお弟子さんみたいな人です)と共にバルコニーに出て演説をはじめました。しかし、野次と頭上のヘリコプターの轟音(ごうおん)がひどく、ほとんど聞こえないので十分くらいで切り上げ、がっかりした顔をして戻ってきました。
伜は欲目で自衛隊員を過大評価していたのではないでしょうか。
彼らは一カケラの魂の持ち合わせもなく、彼らの目標は三食付退職金付の無料宿泊と、退役後に備えての技術の盗み習得で、ただ銃だけを体裁にかついでいる全くナンセンスの存在、その集団を相手に、その素質などについて云々(うんぬん)するのは野暮(やぼ)の骨頂(こっちょう)かもしれませんが、彼らには人の話を聞ける日本人の耳の代わりに、頭の横にロバの耳がくっついているだけ、口だけは達者でわけも判らずアヒルのようにガアガアかまびすしく鳴ける能力があるだけなのです。伜はこれらの連中を相手に演説をしようとしたのです。
しかし、僕はひそかに思うに、伜が演説ができたできないにかかわらず、演説をしようとバルコニーに立てたことそのこと自体に、大いに意味があり、効果があったのではないでしょうか。伜はよくまあここまでこぎつけて来られたものだ、正に奇蹟だとさえ考えています。伜は一念天に勝ち、一心運に勝ち、すでに見事に成功してしまっているのです。
私は、あまり意味のない死ではなかったか、と思ったものでしたが、お父さんに言わせると、三島さんは勝ったのだ。よくやったのだ。あれは奇蹟だったのだ。となるみたいです。
お父さんとしては、息子さんの行動の意味が、やはりよくはわからないんです。でも、理解はできないけれど、わかってあげたい。息子は無駄な死をとげたのだとは思いたくない。あの子が考えに考えてしたことなんだから、やはり何かの意味があり、人々の心に強烈はインパクトを与えてこの世からいなくなってしまったのだ。
お父さんはそのように考えておられる。親って、そういう存在なのかなと思ったりします。
私も、どれくらい親の期待を裏切り、とんでもない方向へ飛び出ていってしまったことか。なのに、親は、あれはあれで元気でやっているんだから、それでいいじゃないか。あの子らとしては、あれでよかったのだと思ってくれている。今さらながら、ありがたいことだと思うわけであります。
酔っぱらっていて、ロレツが回っていません。明日見直してみます。それではまた!
★ 酔いが抜けて、少しだけ書き直しました。あまりうまくまとまっていませんが、親は、とにかく子どものこと、どんなことをしたとしても、理解してあげたいと思っている。
申し訳ないと謝罪したとしても、心の中では、おまえを信じているぞ、何か理由があったんだろうと思いつつ、社会に顔を出しているのかもしれない。
親って、アホみたいに子どものことを愚直に考えているモノなのだと思います。他人が見たら、何だあの親は、アホか、バカのように見えるでしょう。それも当然です。もうむやみやたらに親なんですから、理由はありません。アホのように親なんです。……と思います。(2016.4.19)
文春文庫で出た初版の96年に、私はこの本を買ったようです。だったら、すぐに読めばいいのに、買ってから20年してやっと読んだなんてね……、あまりに時間がズレすぎていました。まあ、仕方がありません。
その日、ミシマさんたちは、なじみの自衛隊の市ヶ谷本部に行きます。どうしてそこで切腹なんかできたのか。そんな武装して日本刀なんかを所持している物騒な人たちが、どうして自衛隊の中に入れたのか。セキュリティはどうなっているか、と不安なったりします。昔は、そんなものだったのかどうか。三島さんたちだけ特別待遇だったんでしょうか。
実は、ミシマさんたちは準会員というのか、顔なじみというのか、顔パスというのか。何度も体験入隊などをしているし、ツーカーの仲だったみたいです。だから、わりと簡単に内部に潜入できたようです。あとは、自分たちの計画通り、自衛隊の重要人物を監禁して、その人を盾にして、自衛隊の決起を促し、天皇の軍隊として自衛隊を機能させていく、そういう計画だったようです。……真剣にそんなことが実現できると考えていたのかどうか。1つのアピールとして立ち上がったのかどうか……。
あんなに賢い人が、どうしてそんな愚挙に出たのか? 私はそこがわからなかったのです。好きな作家だったのに、わからなかった。そして、だいぶ時間が過ぎて、三島さんにまつわるいろんなものがほぐれて消え去った後、最後の作品「豊饒(ほうじょう)の海」を読んだんでした。そして、さらにわからなくなって、ずっと遠ざかり、20年ぶりにミシマさんを読みたい気分になった。
20年前に1度捨てたモノを、ふたたび取り返そうとしている。どうしてなんだろう。
1970年と言えば、全共闘・安保闘争の時代から、ノンポリでやさしい時代、ぬるま湯時代に突入していく頃でした。だれも天皇中心の国家を作り、天皇の軍隊としての自衛隊が社会を支配していくなんて、そんなことは考えていない時代でした。あまりに時代錯誤でした。
そういうのは、一部の頑迷な右翼の人だけが、勝手に妄想しているだけことでした。なのに、あの賢明な三島由紀夫さんが、そんなことを考え、実行しようとした。もちろん、自衛隊では、だれもそんな空想に追随するものはなく、当時の私も、何が起こったのかわからなかった。小学生だったので、本当にぼんやり受け止めただけでした。
なのに、中学時代、三島さんはこの世にいなくなったのに、思春期の私は、ミシマさんの作品にひかれていきました。思想的には三島さんとは全く違うモノを感じていたはずですが、作品だけはあれこれ読みました。たぶん、理解はできていなくて、ただ教養として読んでいただけなのかもしれないけれど……。
たぶん今読んでも、どれくらい理解できるのか、少し不安はあります。
でも、今回読んだ、ミシマさんのお父さんの本は、父として生き急いだ息子のことをあれこれ回想していて、父親としての気持ちが理解できた気がしました。お父さんは、死んでしまった息子を懸命に理解しようとしている姿に心打たれたのです。
というわけで引用します。
伜(せがれ)は刀で切りつけ、(自衛隊の連中を)追い出し、要求書を渡し、全隊員を広場に集合させるよう求め、
「総監には露ほどもおうらみすることはなく、申しわけなかった。しかし、これしか方法がなかった。このあと私は死ぬんですから」と言い、また、
「自衛隊を天皇にお返ししなければ日本の国は滅びます」とも申しました。
そして、森田君(三島さんのお弟子さんみたいな人です)と共にバルコニーに出て演説をはじめました。しかし、野次と頭上のヘリコプターの轟音(ごうおん)がひどく、ほとんど聞こえないので十分くらいで切り上げ、がっかりした顔をして戻ってきました。
伜は欲目で自衛隊員を過大評価していたのではないでしょうか。
彼らは一カケラの魂の持ち合わせもなく、彼らの目標は三食付退職金付の無料宿泊と、退役後に備えての技術の盗み習得で、ただ銃だけを体裁にかついでいる全くナンセンスの存在、その集団を相手に、その素質などについて云々(うんぬん)するのは野暮(やぼ)の骨頂(こっちょう)かもしれませんが、彼らには人の話を聞ける日本人の耳の代わりに、頭の横にロバの耳がくっついているだけ、口だけは達者でわけも判らずアヒルのようにガアガアかまびすしく鳴ける能力があるだけなのです。伜はこれらの連中を相手に演説をしようとしたのです。
しかし、僕はひそかに思うに、伜が演説ができたできないにかかわらず、演説をしようとバルコニーに立てたことそのこと自体に、大いに意味があり、効果があったのではないでしょうか。伜はよくまあここまでこぎつけて来られたものだ、正に奇蹟だとさえ考えています。伜は一念天に勝ち、一心運に勝ち、すでに見事に成功してしまっているのです。
私は、あまり意味のない死ではなかったか、と思ったものでしたが、お父さんに言わせると、三島さんは勝ったのだ。よくやったのだ。あれは奇蹟だったのだ。となるみたいです。
お父さんとしては、息子さんの行動の意味が、やはりよくはわからないんです。でも、理解はできないけれど、わかってあげたい。息子は無駄な死をとげたのだとは思いたくない。あの子が考えに考えてしたことなんだから、やはり何かの意味があり、人々の心に強烈はインパクトを与えてこの世からいなくなってしまったのだ。
お父さんはそのように考えておられる。親って、そういう存在なのかなと思ったりします。
私も、どれくらい親の期待を裏切り、とんでもない方向へ飛び出ていってしまったことか。なのに、親は、あれはあれで元気でやっているんだから、それでいいじゃないか。あの子らとしては、あれでよかったのだと思ってくれている。今さらながら、ありがたいことだと思うわけであります。
酔っぱらっていて、ロレツが回っていません。明日見直してみます。それではまた!
★ 酔いが抜けて、少しだけ書き直しました。あまりうまくまとまっていませんが、親は、とにかく子どものこと、どんなことをしたとしても、理解してあげたいと思っている。
申し訳ないと謝罪したとしても、心の中では、おまえを信じているぞ、何か理由があったんだろうと思いつつ、社会に顔を出しているのかもしれない。
親って、アホみたいに子どものことを愚直に考えているモノなのだと思います。他人が見たら、何だあの親は、アホか、バカのように見えるでしょう。それも当然です。もうむやみやたらに親なんですから、理由はありません。アホのように親なんです。……と思います。(2016.4.19)