甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

岬めぐり挽歌 その2

2020年02月16日 16時23分29秒 | 空を見上げて

 彼は、はにかんだような話し方をする感じの人でした。ものすごく相手のことを考えているんだけど、そんなのは出さない。クールにしたいんだけど、クールにもなりきれなくて、

 え、そんなこと、話してまうけど、ええんか。言うで、言うてまうで! 言うたろ!

とか思いながら、ズケズケ言ったりする人でした。

 また、すぐに反省して引っ込んでみたり、心の移り変わりが何となくわかるような、でも、ちっとも本心は見えないような、そんな話し方をする人でした。たいていはテキパキしてるんだけど、雰囲気がそうだったのかなぁ。



 彼は英文科でした。だから、うちの奥さんと同じ学科で、彼女に印象を聞いてみたんです。でも、彼女はあまり関わりがなかったのか、「誰さんと一緒にいた」とか、目撃したことくらいしか印象になかったみたいでした。強烈なんだけど、関わるのが怖いところもあったのかな……。

 彼は、うちの奥さんが私と付き合っているということ自体知らなかったのかもしれない。知ってたかな……。そして、私たちが結婚したなんて、
 「まあ、それはよかったですね」と素直に祝福してくれたとは思うけど、あまり結びつかなかったのではないかな。

 うちの奥さんも、彼は私と同じ高校の出身であるというのは知ってはいた。だから、特に私との関係であれこれ聞くとか、そんなことはしないし、とにかく、彼を前にしたら、うちの奥さんは何だか構えてしまうところがあった(んでしょう?)。



 ただ、英文科の中で、「K子ちゃんとは仲良くしてたみたい」と言うのを教えてくれます。K子ちゃんは、東北出身の丸顔でチャーミングな子で、私だって仲良くなりたかった(かもしれない)。でも、接点はないし、彼がK子ちゃんと仲良くしてようと、まあ、うらやましいなあくらいに思ってたのかな……。

 いや、その話はかなり時間が過ぎて聞いたのかもしれないから、思い出話として聞いたのかな。あまり学生時代から、高校の同級生で、しかも同じ大学にいた彼のことを、私も彼女も話す機会はなかったのです。ただ、そこにいた知り合いという程度でしたっけ。


 彼は旅人でした。それを知ったのは、高校三年の文化祭のイベントだったと思います。彼が夏に一人で北海道を放浪した時のスライド会みたいなのがあったんです。旅の話が聞きたいからか、たまたま声を掛けられたからか、彼の話を聞いてみたくて、理科室(地学?)か、視聴覚室かに行きました。

 全体の内容は記憶にありません。ただ、彼が北海道の端っこを一つ一つ制覇していったのは、すごいなあと感心はしました。うらやましかった。私は、青函連絡船さえ乗ったことがなくて、東北地方もはるかに遠い土地でした。

 そんな私と違って、彼はひとりで、何でもいろんなものを見てやろう精神で、北海道を訪ね、記録した。その達成感がうらやましかった。その後も、バイクやら、いろんな手段で旅をしたと思うんですけど、詳しく聞く機会はありませんでした。

 彼の到達したという宗谷岬は、オッチャンになった今の私にも、はるかに遠い所で、いつ行けるのか、わからない土地です。



 一度だけ、彼の下宿を訪ねたことがあります。めぐりあわせで、彼の部屋に誘ってもらった。どんな部屋だったのか、男くさいとか、ゴチャゴチャしているとか、そういう印象はなかったから、それなりにこざっぱりしてたのかな。

 たまたま彼は、オフコースのLPをカセットテープに録音しなくてはならなかった。誰かに借りたか、それとも私に聞かせてやろうと思ったのか、とにかくターンテーブルにレコードを載せ、針を落とす。

 すると「眠れぬ夜」という曲のカリカリと刻むイントロのところで何度も針飛びをしました。冒頭からこれで、普通だったら、もう一曲目はいいかと諦めるところを、何度も何度も聞かせてもらいました。そして、小田さんの歌は、まるで憶えていないのでした。

 でも、オフコースの「眠れぬ夜」のイントロは私の心に強く刻まれました。調べてみたら、1975年の曲だった。私たちの高校時代に流行った曲だった。

 もちろん、80年代になっても、私はオフコースなんて、関係なくて、好き勝手に生きていた。そして、部屋でオフコースを聞く人を、なんでそんなことしているの、と思いつつ聞いていた。私って、人の音楽への共感が少ない人でした。

 いや、当時は、ジャズとかを聞かせてくれる人には無条件に感動したんだけど、ニューミュージックやフォークみたいなの、敬遠してたんでしょう。


 歳月は流れて、三十を過ぎたあたりで、高校の卒業名簿を買って、自分たちのページを開いてみて、彼だけが亡くなっているのを知ります。

 それは、真実として受け止められなかったけれど、少しずつ彼のことを、今まで少しずつ聞かせてもらって、かつてそばにいた彼が、突然いなくなったという事実は受け止めなくてはならないと思うようになりました。

 彼は、宗谷岬とか、青函連絡船とか、どこかもっとはるか向こうの北の大地とか、日本を飛び出して広い世界に飛び出していった。

 私は、私の生活をとりあえず続けてきて、あとしばらくは続けようと思っている。ただ、祈ったり、つまらない五七五を作るだけです。誰かと、彼の話、してみたいです。彼と直接話せないけど、宗谷岬も行きたいし、彼の作品、何かないかなと思ってしまいます。

1 夏の岬キミは誰かに話しかけてた

2 地学室秋の光にスライドは揺れて

3 眠れぬ夜針飛びLPしみる夜

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