冨田勲さんが亡くなってしまいました。私は、ぼんやりしていて、心を閉ざしていたせいか、冨田さんが亡くなっても、なんとも思わないようになっていました。
いつかはそんな日が来るけれど、その日が来ても、何だか人ごとのように聞いていました。そして、悲しもうにも、どうして悲しんでいいのかわからなくなっていた。
もっと冨田さんのCDをじゃんじゃん流せばいいのだけれど、それもあまりしませんでした。
そして、今日なんかは、モーツアルトも聞かないし、ラベルのピアノ曲集も聞かないし、日本の音楽も聞かないし、ラジオも聞かないし、結局クラフトワークにしました。
ピコピコサウンドと言われたこともあったけれど、クラフトワークは、確かにそういう音を強調する部分もあるのだけれど、大事なのは音が途切れず、次から次とテンポよく出てくる、この切れ目なさだと思いました。いつまでもクルマを走らせることができるような、右折車・左折車をぶっちぎって、その間をすり抜けていくよう、あぶなっかしいけど、テンポのよさがありました。
かくして私は、家に着いたんでした。家族は私を待っていて、21時なのにゴハンも食べていなかった。なのに私は1人で酔っぱらって、ヨイヨイになってしまった。折角待ってくれていたのに、そういうことはお構いなしで、好きな風に酔っぱらったのです。ああ、なんたることでしょう。
そして、奥さんはそんな夫は放置して、ずっと「ハリーポッター」を見続けたのです。でも、彼女が言うには、このシリーズを見始めたのは最近のことだそうで、それまでの子ども向けのモノよりも、話が込み入ってきて、暗いイギリス風になったところから、彼女の琴線にふれる部分が出てきたようです。
そして、イギリスといえば、EU離脱を決めたそうです。キャメロンさんは辞任するし、オバマさんはあと数ヶ月だし、フランスはどうなるかわからないけれど、カナダのイケメン首相も、日本のお調子者首相も、みんなサミットを最後の花道に引退していってくれたら、何かサッパリした感じでいいですね。
いつまでもやってるのは、中国とロシアだけで、ブラジルも、イギリスも、ドイツも、日本も、みんな入れ替わったら、少しは世の中サッパリするでしょうか。
まあ、あまり代わりばえしないかもしれないな。
せっかくだから、他のアルバムジャケットを探してみました。
芸術云々よりも、とにかくお客を楽しませることを第一としたストコフスキー、ジャケットも正統派で、千数百円なら買いたくなる感じです。芸術なんかいらない。楽しませてくれたらそれでいいのです。
カラヤンさんは、ジャケットもきらびやかな感じです。でも、ガチャガチャしすぎている感じもあります。本当はカラヤンさんは、音楽の職人なんだから、地味でしっとりしたものにしてくれたらいいのに、サービスたっぷりすぎて、このジャケットでは買えないです。
シャルル・デュトワさんのジャケットはどうでしょう? これはもう、ジャケットだけで買います。「展覧会の絵」のはずなのに、何だかとんでもない、見たことも聞いたこともないような世界に連れて行ってくれそうで、中味は聞かなくても買いたいくらいです。
そして、冨田勲さんは? 高校の時に聞いて、高校の音楽室で、トコトコとダイアトーンの大きなスピーカーを出してきて、先生が講釈をしてくれて、ワクワクしながら聞きました。
シンセサイザーなので、音はピョンピョンはねていきます。そして、キエフの大門までたどりつき、おもしろかったけれど、少しだけ疲れる感じもあったんでしたっけね。
高校生の私は、あまり苦痛にならず、スイスイ受け入れられたけれど、今の私には無理かもしれない。とても35分くらい聞き通す自信がありません。
どうしてこんなに大好きな冨田勲さんが聞けなくなったのか、年なので、いろんな音があるのがイヤなのだと思われます。ほんの少しの音でいいんです。オーケストラもあまりいらなくて、ほんの少しの楽器でポツリポツリやってくれる方が好きになりました。
単純に年のせいだと思われます。たぶん、若い人には刺激的なCDだと思います。ただ、私は、もう聞く自信を失っている。クラフトワークが聞けるのに、冨田さんが聞けないなんてね。
クラフトワークは、かまびすしいようでいて、わりと音的には少ないのかもしれないです。どうでしょうね。