先日、3000円しか持たずに、名古屋へ行きました。あまりたいした目的ではなかったけれど、とにかく知りたいことがあったので、わざわざ18キップで往復しました。少し損した感じです。JRさんに貢献してしまいました。まあ、春はこういうことがありますね。
名古屋駅から、栄の愛知県美術館まで、普通の人なら地下鉄でいくところが、貧乏でヒマ人なので、歩いていきました。地下鉄二駅分だし、名古屋は道が一直線で、歩道は確保されているし、サクラもあちらこちらで花開いていました。雨も降っていませんでした。
柳橋商店街というのがあるんだと、魚の絵が描かれたゲートを撮ろうとしていたら、外国の人たちが自転車に乗って集団で行き過ぎました。どこへ行くのか、ご家族というのか、知り合いというのか、みんなでお出かけ風で、楽しそうでした。こちらもウキウキした気分になれました。
残念ながら、柳橋商店街に立ち寄る余裕がなくて、私はスタスタ歩いていきました。
堀川というのが南北に流れていて、南側には水門やら、クラッシックな建物があるというのは知っていたので、名駅から栄までの道すがらに、何か古風なものがないかなと、探していて、まず堀川を渡ると、
どぶ川のにおいがしました。水量もあまりなくて、どんより流れています。
「こんなにどぶくさい川だったっけ」と少しビックリしました。
真っ黒い水がゆったり流れています。そしてクサイ。けれども、その水面にびっしり何かが浮かんでいて、よく見ればそれは桜の花びらだった。キレイではあるけれど、この臭いがせっかくの美しさを台無しにしていました。
名古屋のサクラはどんどん散っているのでした。てっきりサクラは満開なのだと見ていたら、実はサクラは散り始めていて、それらの花びらを1つひとつを、堀川は拾い集めて、ゆったり海へと流していた。やがて伊勢湾に注ぎ込んで、水底へと運ばれていくことでしょう。そんな意外さというのか、時間が過ぎていくのを見たような気がしました。
栄について、他の名所には寄り道せず、一直線に美術館へ行き、目的を達成したら一直線に帰ってきました。
何というムダのない、折角都会へ来たのだから、本屋さんをひやかすとか、街ゆく人を眺めるとか、都市観察をすればいいのに、この日は単独行動ではなく、JR高島屋の三省堂書店で待ち合わせをすることになっていたので、余計なこと一切無しだったんです。
さあ、フランク・カドガン・クーパーさんの絵です。タイトルが「虚栄」となっていました。
ロイアルアカデミー展の目玉の1つの作品なのですが、タイトルが気に入りません。世の中にはキレイだけれども、心の中は見栄っ張りで、名誉欲・自己顕示欲・その他の欲望がいっぱいの女性として描かれているようです。
確かに、世の中にはそういう美しいけれどもコワイ女性というのがいるようです。でも、それを真正面から取り上げることはないのです。もっと違うタイトルで、「目を閉じていてもわかる」とか、「無言の圧力」(これもよくありませんね)とか、女性に批判的なタイトルじゃない方がよかったのにと思いました。
とにかくキレイな女性像で、見てみたらハッとします。そして、その後に、こういう女性に喜んで振り回されるであろう人々があるような気がします。そうです。AKBの女の子たちと同じです。あの子たちに、ファンの男どもは喜んで振り回され、投資し、身を捧げている。
そういうことが世の中にあるのよ。それが人生の1つの場面なのよ、と語っているような絵です。実際はそんな意地悪な魂胆があったわけでもないのに、たまたま自分が思い、口に出すと、まわりが自然にそちらに動いてくれるような、そうした太陽のような女性がいるもんだよなと、思わせてくれる絵でした。
私は、ステキな女性かなと思うものの、つきあうのは大変そうだと、敬遠したくなるような女の人という気がしました。見る分にはかまいません。ハハー、と敬遠しておくことにしました。
名古屋駅から、栄の愛知県美術館まで、普通の人なら地下鉄でいくところが、貧乏でヒマ人なので、歩いていきました。地下鉄二駅分だし、名古屋は道が一直線で、歩道は確保されているし、サクラもあちらこちらで花開いていました。雨も降っていませんでした。
柳橋商店街というのがあるんだと、魚の絵が描かれたゲートを撮ろうとしていたら、外国の人たちが自転車に乗って集団で行き過ぎました。どこへ行くのか、ご家族というのか、知り合いというのか、みんなでお出かけ風で、楽しそうでした。こちらもウキウキした気分になれました。
残念ながら、柳橋商店街に立ち寄る余裕がなくて、私はスタスタ歩いていきました。
堀川というのが南北に流れていて、南側には水門やら、クラッシックな建物があるというのは知っていたので、名駅から栄までの道すがらに、何か古風なものがないかなと、探していて、まず堀川を渡ると、
どぶ川のにおいがしました。水量もあまりなくて、どんより流れています。
「こんなにどぶくさい川だったっけ」と少しビックリしました。
真っ黒い水がゆったり流れています。そしてクサイ。けれども、その水面にびっしり何かが浮かんでいて、よく見ればそれは桜の花びらだった。キレイではあるけれど、この臭いがせっかくの美しさを台無しにしていました。
名古屋のサクラはどんどん散っているのでした。てっきりサクラは満開なのだと見ていたら、実はサクラは散り始めていて、それらの花びらを1つひとつを、堀川は拾い集めて、ゆったり海へと流していた。やがて伊勢湾に注ぎ込んで、水底へと運ばれていくことでしょう。そんな意外さというのか、時間が過ぎていくのを見たような気がしました。
栄について、他の名所には寄り道せず、一直線に美術館へ行き、目的を達成したら一直線に帰ってきました。
何というムダのない、折角都会へ来たのだから、本屋さんをひやかすとか、街ゆく人を眺めるとか、都市観察をすればいいのに、この日は単独行動ではなく、JR高島屋の三省堂書店で待ち合わせをすることになっていたので、余計なこと一切無しだったんです。
さあ、フランク・カドガン・クーパーさんの絵です。タイトルが「虚栄」となっていました。
ロイアルアカデミー展の目玉の1つの作品なのですが、タイトルが気に入りません。世の中にはキレイだけれども、心の中は見栄っ張りで、名誉欲・自己顕示欲・その他の欲望がいっぱいの女性として描かれているようです。
確かに、世の中にはそういう美しいけれどもコワイ女性というのがいるようです。でも、それを真正面から取り上げることはないのです。もっと違うタイトルで、「目を閉じていてもわかる」とか、「無言の圧力」(これもよくありませんね)とか、女性に批判的なタイトルじゃない方がよかったのにと思いました。
とにかくキレイな女性像で、見てみたらハッとします。そして、その後に、こういう女性に喜んで振り回されるであろう人々があるような気がします。そうです。AKBの女の子たちと同じです。あの子たちに、ファンの男どもは喜んで振り回され、投資し、身を捧げている。
そういうことが世の中にあるのよ。それが人生の1つの場面なのよ、と語っているような絵です。実際はそんな意地悪な魂胆があったわけでもないのに、たまたま自分が思い、口に出すと、まわりが自然にそちらに動いてくれるような、そうした太陽のような女性がいるもんだよなと、思わせてくれる絵でした。
私は、ステキな女性かなと思うものの、つきあうのは大変そうだと、敬遠したくなるような女の人という気がしました。見る分にはかまいません。ハハー、と敬遠しておくことにしました。