以上のエピソードによりまして「鶏鳴狗盗」とは、ゴロツキ・役立たず・意味不明の才能などという意味で、あまりうまく使われていることばではないかもしれません。
でも、意外な才能というのか、その道のスペシャリスト、という意味の「鶏鳴狗盗」もありますので、要はことばを使う人のさじ加減なんだと思われます。ことばはそこにあります。それをどんなふうに選ぶかで、人を動かしたり、難しがらせたりします。
田文さんのところには、普段は何もしないお客さんたちがたくさんいて、いつも自分の才能を生かせるチャンスを狙っていた。とはいえ、いつまで経ってもチャンスが来なかったら、またどこかへフラフラと出て行ったかもしれない。才能を押しとどめるのは大変なんです、きっと。才能を集めておく人望みたいなのが田文さんにはあったということなんでしょう。
その後、田文さんは、故郷の斉で浮き沈みを味わいますが、やはりその時にも、自分のところのスタッフが活躍してくれたみたいです。でも、秦の始皇帝は数十年後にやってきます。
平安時代に、「史記」だったのか、「十八史略」だったのか、読んで知っている賢い女の人がいました。漢文ができて、それを自分のものにしてるんだから、なかなか侮れないというのか、いつも彼女に向き合う男どもは、試されてる気分だったかもしれない。
ある夜、清少納言のもとへやってきた大納言藤原行成(ゆきなり)は、しばらく話をしていましたが、「宮中に物忌みがあるから」と理由をつけて早々と帰ってしまいました。
翌朝、「鶏の鳴き声にせかされてしまって」と言い訳の文をよこした行成に、清少納言は「うそおっしゃい。中国の函谷関(かんこくかん)の故事のような、鶏の空鳴きでしょう」と答えます。
清少納言は「どうせあなたの言い訳でしょう」と言いたかったのです。それに対して行成は「関は関でも、あなたに逢いたい逢坂の関ですよ」と弁解します。そこで歌われたのがこの歌です。
翌朝、「鶏の鳴き声にせかされてしまって」と言い訳の文をよこした行成に、清少納言は「うそおっしゃい。中国の函谷関(かんこくかん)の故事のような、鶏の空鳴きでしょう」と答えます。
清少納言は「どうせあなたの言い訳でしょう」と言いたかったのです。それに対して行成は「関は関でも、あなたに逢いたい逢坂の関ですよ」と弁解します。そこで歌われたのがこの歌です。
これはネットからのパクリなんですけど、清少納言さんは行成さんともう少しおしゃべりしたいし、彼の書く字に惚れています。人物としても好きだったのかもしれない。なのに、彼は深夜に帰って行った。いや、そもそも夜に会いに行くって、何しに行ったんだろう。そのあたりはわかりません。それで、行成さんは、「もう朝の鳥が鳴く時間だから」と帰ってしまった。それを彼女はひっくり返します。
夜をこめて 鳥の空音(そらね)は 謀(はか)るとも
よに逢坂(おおさか)の 関は許(ゆる)さじ
よに逢坂(おおさか)の 関は許(ゆる)さじ
清少納言(62番) 『後拾遺集』雑・940
夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、函谷関(かんこくかん)ならともかく、この逢坂の関は決して許しませんよ。あなたが私をごまかそうとしていくら言い訳したって、もう二度とあなたに逢うことは許されないんですから。
そういうメッセージをもらって、改めて彼女はすごいと思うのか、それともこんな教養をふりかざす女とは二度と会わないと思うのか、これは難しい問題です。いくら興味があっても、こっちにだって事情はあるし、他にも彼女はいるんだよ、みたいな気分になったのかどうか。
彼女だって、それが本気だったのかどうか。いつも探り合いをしなきゃいけないのもしんどいことです。
いや、そういうのを乗り越えて平安貴族のみなさんたちは、好きなお相手を求めて自分の才能みたいなのを伸ばそうとしたんでしょうね。偉いです。立派です。私にはとてもできないことでした。いや、そもそも私は貴族じゃないし、そういうのを頑張る年でもありませんでした。
「もう夜が明けるから、帰るね」と男が言った。そこで歴史の教養で「私に逢おうって思っても、もう許さないんだから!」と、男に詰め寄る女。かわいいというべきか、怖いというべきか、めんどくさいというべきか(偏見ですが、私は逢いたくないかも……? いや、そもそも私なんて論外の存在でした。失礼しました!)。ああ、悩んでしまう。
でも、歌そのものはテンポが良くて、大阪人の私は、場所は違うけれど、京都の東の逢坂山というのを知れて、高校時代には暗記しやすい歌でした。ぜひ取りたい札でした。実際にやったことはないけれど……。