この前買ってきた本に『詩経』を取り上げてくれたものがあったので、さっそく借りてメモしておきます。
民もまた労(つか)れたり
ねがわくは 小康(すこしあんらく)になりたし
この中国(なかつくに)に恵(めぐみた)れ
詭(みだり)に随(うご)くを縦(ゆる)すことなく
もって良からぬヤカラ謹(おそれつつし)ましめよ
もって遏(ふさぎと)めよ寇(あだをなす)虐(あばれもの)の
僭(これまで)明(てんのみとおし)を畏(おそ)れざりしを
遠くのものを柔(まつろわ)せ邇(ちか)くのものを能(なれしたし)め
もってわが王(きみ)定(しかとさだ)めよ
この詩はあと四章あるそうで、「小休(すこしやすらか)になりたし」「小息(すこしやす)みたし」「小愒(すこしいきつ)きたし」「小安(すこしくつろ)ぎたし」と、民の声が描かれているそうです。
それにしても、世の中にはやたらと動き回る人たちがいて、私たちを落ち着かせないのです。たとえば、フランスに出かけたり、ブラジルに行ったり、まともに向き合うことなく、遠くの場所から民を眺めてみたりする。ものすごく距離があったりしますね。動き回る人たちがいる。
ただ動き回るだけではなくて、今までそれで落ち着いていたものを、「いやいや、あんなのは時代に合っていないから時代に合うようにしなくてはならない」なんて、さもそれが正論であるかのように言う。
それよりも何よりも、自分の行いをしっかりと正さないといけないのに、それはしない。なんてご都合主義なんだろう。それで理屈が通るとでも思っているのか。
三千年くらい前の周という国の政治的危機をうたった詩なんだそうです。どうして為政者って、いつまでたっても人々を放置して好きなことばかりやりたがるものなのか。
いや、為政者は絶対に人々のことなんか考慮しない。自分の理屈で動いていく。これが絶対の真理なのでしょう。どんなスローガンを掲げようとも、いざ権力を握れば同じ結果になってしまう。
諦めて、政治なんて、関わる方がバカなのさ、とでも言ってみますか? いやいや、とりあえず参加する方法があるし、為政者を取り換えることができるのであれば、時々は取り替えてみる、ということはすごく大事な気がします。
合衆国だって、あんな老老対決を演じてるけど、あれでもないよりはましなんでしょう。その後、また新しい時代が来るし、それは人々が選んだ結果のはずです。
私たちの住むところも、自分の利権優先の人たちを為政者に選び、十数年も経済低迷を甘んじてきました。それは人々が選んだものでした。仕方がない。結果を受け入れ、新しいものに取り換えていかなくちゃいけないな。